プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生207」

小川はキッチンから擂粉木を持って玄関に戻ると、アユミにベアハッグをされて失神しそうになっている、
ベンジャミンの目の前にその擂粉木の両端を持って差し出した。「友」さんは思わずそれを握った。
「ロープ、ロープ。アユミさん、ロープだから放さないと」
小川の意図がわかった、アユミの夫はすかさず唱和して、アユミが油断を見せた隙にベアハッグを解いて、
ふたりの間に割って入った。アユミの夫はミスタータカハシのように危険な技であることを訴えてアユミを
賓客から遠ざけようとしたが、逆にアユミのキックを浴びて倒れ込んでしまった。
「ろーぷ、ろーぷ」
アユミの夫の後を引き継いだのは、彼の息子の音弥だった。すかさず小川、相川、ベンジャミンも唱和した。
娘の裕美が唱和する頃にはアユミも正気を取り戻し、ベンジャミンに怪我がなかったことがわかるとみんな
何事もなかったかのように笑顔でテーブルについた。
「さっきも言ったようにベンジャミンはボート競技で鍛えているので、身体は丈夫にできているんです。
 それから、アユミさんが活発なこともベンジャミンは知っています」
「というと、今のは挑発だと...」
「まさか、でも思ったまま言ってしまうのは、彼の悪い癖です」
「オオ、ソウやネ。ごめんね」
「ところで、さっき桃香が何か演奏するところだったんだが...。準備は大丈夫だね、じゃあ、聴かせてもらおうか」
「それじゃあ、わたしが、「ロンドンデリーエア」と「美しきロスマリン」を引いた後、お母さんが、
「春の日の花と輝く」と「ユモレスク」を吹くのでご清聴ください」

「オオ、スバラシイ。ところで、オオカワサンのところは、なにすんのん」
「そうだなー、アユミなにかできるかな」
「ベンジャミンさん、先程は失礼しました。名誉挽回のために張り切って引かせていただくわ。シューマンの
 「子供の情景」なんてどうかしら。それから、私、相川さんのファンだから、ピアノ演奏をききたいな」
「わかりました。じゃあ、シューベルトの即興曲を何曲か弾かせていただきましょう」

大川が相川とベンジャミンを駅に見送りに行った後、小川は秋子とアユミと3人で話をした。
「相川さんが留守の間、ベンジャミンさんが代わりを務めると言っていたけれど、今日みたいなことがしばしば
 あると身体がもたないなあ」
「ふふふ、まあ、今日はアユミさんお酒を飲んでいたから。アユミさんもベンジャミンさんに悪い印象は持って
 いないでしょ」
「ええ、むしろ私はイギリスの文化に興味があるから、親しくしてもらっていろいろ教えてもらおうと思っているわ」
「なら話は速い。秋子さんは仲間とアンサンブルの練習をしないといけないから時々同席してもらうとして、
 アユミさんは子供さんを連れて毎回会に参加してもらおうかな」
「ええ、喜んで。でも、遠慮はしないから」
「......」