プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生10」

ふたりが上七軒のバス停近くの煎餅屋に入り、生姜せんべいを購入すると
主人は、他にはいりませんかと尋ねた。
「いや、ぼくは全国の生姜せんべいの味比べをして回っているので、他の
煎餅には残念ながら興味がないんです」
ふたりは店を出て、道をはさんで向いにある、公園のベンチに腰をかけると
袋を開封して生姜せんべいを食べ始めた。
「一度ここに来てみたかったんだ。なかなかいける味じゃないか」
「そうね。でも、ここでは大事な話はできないわね。私、急ぎの用事があるっ
 て手紙に書いてたの読まなかった。実は、職場で…」
「それじゃあ、いよいよ…」
小川がそう話すのを聞くと秋子はぷっと頬を膨らませた。
「あなたはいつもそうやってごまかすんだわ。ほんとに喜怒哀楽を表に出さな
 いんだから。今日はあなたの真意を聞くまでは家に帰らないから」
しばらくふたりはお互いの視線を交わすのを避けるようにしていたが、ふと
小川が公園の木を見ると枝の上にディケンズ先生が腰掛けて、自分の口元を
指差し、プルーンズ、プリズムと言っていた。
小川は秋子の方に向き直り、
「プルーンズ、プリズム…」
と言うと秋子は、ぷっと吹き出した。
「小川さんは何か不思議な力に突き動かされて、想像もつかないことをしたり
 するわね。あなたのユーモアセンスに脱帽したわ。それと同時に今日は告白
 したいという気持ちも失せてしまったわ。もっとふたりとも余裕がある時に
 会って、じっくり話し合った方がいいみたい。まだまだ時間はあることだし」
「そうか、けれどぼくの方は今日でもよかったんだけど…」
と小川は独り言を言ったが、その時には秋子は生姜せんべいを大きな音を立てて
食べていたので、聞き取れなかった。

小川は夜行バスで東京に帰ったが、疲れていたのですぐに眠りについた。
「小川君、駄目じゃないか。私はプルーンズ、プリズムの口をしながら、「どう
したの。大丈夫かい」と訊いて上げればいいと言っていたのに。ではまた」