プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生209」
小川は祝日の午後これといった用事がなかったので、名曲喫茶ヴィオロンで自分で持ち込んだレコードを
聞きながら、小説の構想を練ることにした。
<でも、このマーラーの交響曲第3番はなんてすばらしい曲なんだろう、長大なところが玉に瑕なんだけど...。
マスターがリクエストを受けてくれたからよかった。この曲は演奏時間が1時間40分もかかる長い曲で、
第1部と第2部に分かれている。第1部の行進曲が一番の聴きどころでそれで満足してしまうんだが、
第2部の5つの楽章も、トランペットのソロあり、ソプラノの独唱あり、子供のコーラスありととても楽しい。
そして終楽章の感動的な締めくくり。最後までほんとに飽きさせない。こんなすばらしい芸術作品を自分で
創作してみたいなあ。ぼくには音楽的才能がないから、小説でということになるけれど...。そう思うと
創作意欲が湧いてくる。......。だけど、この曲の第2部の最初の2つの楽章は少し冗長な気もするなあ。
やはり睡魔が襲ってきた...>
小川が眠りにつくと、夢の中にフローレンスが現れた。
「小川さん、うれしいことがあったから、報告にきたのよ」
「そうだったね、第49章でウォルターは無事帰ってきたと書かれていたなあ。フローレンス、ぼくの言った通りだった
だろう。ディケンズ先生は決して君のような誠実な女性に辛い思いはさせないと...」
「そうね。先生は本当に素敵なおじさまだわ。そして小川さんは頼りになる相談相手といったところかしら。そこで
さっそく相談に乗ってほしいんだけれど」
「なんだろう。ウォルターが帰ってきたら、めでたしめでたしだと思うんだけど」
「ううん、それが...。帰っては来たんだけれど、なぜか私を避けているようなの」
「なぜだろう、出会った時からお互いに心を許した仲なのに...。でも、よく考えてみるとふたりは若いし、フローレンスは
家出はしたけど、元はドンビー氏という大金持ちの娘だった」
「なにか、お父さんのことを言った」
「いや、ところでフローレンスは日本の国技のことを知っているかな」
「さあ、柔道のことかしら、それとも野球...」
「いやいや、もっと古式に則った格調の高いものさ」
「ああ、すもうのことね。私、昔、双葉山のファンだったのよ。でも最近はあまり...」
「そのすもうというのはふたりでするものなのだが、これをひとりですると...」
「そう、その場合、ひとりずもうということになるわね」
「ぼくはなにもフローレンスにウォルターを思い遣る気持ちが足りないというつもりはないけれど、イギリスに帰っては来た
けれど、若くて財産なんてもちろんないし定職に就けないでいる自分が裕福な家庭で育った女性に満足できる生活を保障
できるかについて悩んでいるということは簡単に想像できることだね」
「そうなの、ウォルターはそんなことを考えているのね。私はウォルターがいるだけで幸せなのに。わかったわ、じゃあ、
あの手で...」
「そうだね、フローレンスが強い意思表示をしたら、ウォルターも何が一番大切か気付くかもしれないね」
「そうね。ありがとう」