プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生214」

小川は残り50ページになった「ドンビー父子」を読み終えてしまうために、いつもの喫茶店に始業時から来店していた。
<今、「ドンビー父子」を読み終えたが、やはりこの小説は、終わりの方はフローレンスばかりが目立つものとなっている。
 本当のところディケンズ先生は、フローレンスを主人公としたかったのかもしれない。けれどこの物語の最初のところでは、
 まだ5才程の少女だからそれが難しかったのだろう。それに芯はしっかりしているが、従順なフローレンスは父親
 ポール・ドンビー氏の意見を尊重せざるを得ない。ところが家出をしたあたりから自我が目覚める。船具商ソロモン・ギルズの
 留守をあずかるカトル船長のところに身を寄せるようになり、そうして将来を誓い合ったウォルター・ゲイが帰ってきてから、
 物語の中心人物になったような気がする。それまでは悪役のドンビー氏の広い視野でもって、物語を紡いで行く必要があった
 のかもしれない。もし最後までドンビー氏が中心人物で自分の周りが崩壊して行く実況中継をさせたなら、途轍もなく暗い小説に
 なっただろう。それを避けるために、ディケンズ先生は、同じ三人称の小説ではあるが、フローレンスの視点で周りの様子を描く
 物語に変えることにしたのかもしれない。そんなことを考えていたら、眠くなってきた>
小川が眠りにつくと夢の中にディケンズ先生が現れた。
「いつもながら、小川君は鋭いな。君が言う通り、この物語は途中から主人公がポール・ドンビー氏からフローレンスに変わった
 と言えるだろう」
「なぜそのようなことをされたのですか」
「まあ、君もアユミさんから熱い期待を寄せられて小説家になると決心したのだから、自分が成長して行く中で小説家の創作の
 プロセスを実感することだろう。だから詳しい話はしないが...。私はこの小説を書いたすぐ後に、「デイヴィッド・コパフィールド」
 を書いている。君も知っての通り、この小説は主人公デイヴィッドが自分の周りの出来事を一人称で語る小説となっている。
 それは、「ドンビー父子」で不満だった点を自分なりに改善しようとしたからとも言える。またその次の長編小説「荒涼館」では
 最初、三人称で物語が始まったというのに、第3章では主人公エスタ・サマソンが自分の周りの出来事を語る一人称の小説に
 変わり、その後しばしば三人称の小説の中に主人公が一人称で語る「エスタの物語」が挿入されることになる」
「そうか、先生の時代には一人称、三人称の区別なく創作がされていたと...」
「そういうことではないんだ。もっとわかりやすく言おう。私は自分の小説の中で活躍する登場人物をできるだけ生き生きと描き、
 読者に感動を与えようと骨を折ってきた。「ドンビー父子」の小説の内容は大方決まっていたが、途中まで書いてみてドンビー氏の
 性格が暗すぎるので、もっと読者が好感を持つような人物を中心に持ってくるべきではないかと考えた。そこで考えたのが、
 フローレンスを家出させて、自分の意見を率直に述べられる女性にさせて、外からドンビー家の崩壊を描くことだった。
 もしドンビー氏がいつまでも物語の中心に居座ったと考えると、読者を楽しませる小説というのとは程遠いものになったろう。
 その次の長編小説でデイヴィッドを主人公に据えたのは、彼の物怖じしない性格が多くの人とのかかわりを可能にさせるからであり、
 多くの人から指摘されるように幼少時は少年とは思えない思考力と決断力と行動力を兼ね備えているが、読者に小説を楽しんで
 もらうためには許されることと思う。そして何よりディヴィッドの心の中を描いて見せることで、主人公の視野に入るものだけ
 でなくだけでなく主人公の心の動きも風景描写のように楽しんでもらうようにした。しかし一人称の小説は主人公の視野に入る
 ものしか描けないので、不満が残った。「荒涼館」の手法は前作の問題点を改善させるために試行錯誤した結果と言えよう」
「よーく、わかりました。またこの小説を読みたくなりました。新訳が早く出るといいですね」
「そうだね、フローレンスも再開が待ち遠しいと言っていたよ」