プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生219」
ベンジャミンは、小川とアユミのやりとりをにこにこしながら眺めていたが、小川が謙遜しているのを見て
会話に加わった。
「オガワの小説のことは相川から聞いています。それから秋子さんがアンサンブルを纏めるのに苦労している
ということも。オガワの小説については地道に頑張りなさいとしかイエナイけれど、秋子さんのためにできることは
たくさんあるんじゃないかとオモイマス。ここに、オオカワとアユミさんがいるのでお二人に提案したいのですが、
あと少なくとも5回、オオカワが世話役になって親睦会が行われます。その内の3回はスタジオでお互いの
音楽を披露し合うということに今のところなっていると思うのですが、その時に秋子さんがアンサンブルの練習を
しているところにオジャマしてはドウデスカ。ワタシは以前音大の学生にヴァイオリンを教えていたこともあり、少しは
役に立つかとオモイマス。オガワがよければ、オガワが世話役の時にも秋子さんが練習しているところにイッテモ...」
「その提案はぼくには願ってもないことなのですが、大川さんご夫婦にはどうなんでしょうか。どのようにお持て成し
をすればベンさんに喜んでいただけるか、考えておられたでしょうし...」
「小川さん、正直言って、ぼくたちがお持て成しできることって、音楽かどちらかへお連れすることくらいしか思い浮かば
なかったのです。ベンさんからそれでよいと言われたのなら、あとはぼくたちができるだけ楽しい時間を過ごせるように
すればいいんだと思います。楽しい一時というものは永遠にその人の脳裏に刻まれるものですが、必ずしもすばらしい
背景が心に残るのではなく、むしろその時の心が通った会話や印象に残るやり取り(この中に音楽も含まれますが)がよい
思い出となって心の奥にしまい込まれるのだと思います。そうして何かの切っ掛けがあれば、楽しかったことが
よみがえって来る」
「あなた、そんな難しいことを言うから、子供が退屈しているわ。これからのことはこれくらいにして、子供たちと
練習したのを見てもらったら。それから私は小川さんと秋子を応援するつもりだけど、あなたももちろん、そうよね」
「何を言っているんだ。当たり前じゃないか。いつもお世話になっている、お二人に恩返しができる、こんな
ありがたいことはない。小川さん、そういうわけですから、遠慮なくなんなりとおっしゃってください」
「本当にありがとうございます。ベンさんも大川さんもアユミさんも」
「それでは、これからしばらくは日英のボーイソプラノの共演ということで、英国と日本を代表するボーイソプラノの
物まねをお聴きいただきましょう。最初は英国を代表してアレッド・ジョーンズが十八番にしていた曲を2曲お聴きいただき
ましょう。グノーとシューベルトのアヴェ・マリアをお聴きいただきます。こちらは、わが最愛の息子音弥がボーカル、
伴奏は最近めっきりきれいになったと評判の我が娘裕美がキーボードで伴奏をします。一方、日本を代表するボーイソプラノ
と言えば...」
「誰だろう...」
「もちろん、フィンガー5の晃です。そういうわけで、「個人授業」と「恋のダイヤル6700」をお聴きいただきます。
演奏は出会った頃から私を愛し慕ってくれ、時には愛情のこもった鉄拳制裁もしてくれる妻アユミが伴奏をします。
歌は私ということでお贈りします」
大川親子の共演は無事終わったが、気がつくと多くの人が何重もの輪をつくって演奏を楽しんでいた。小川や大川は
ヴィオロンでのライヴの経験はあったが、オープンスペースで50人以上の観客を前に演奏を聞いてもらったことはなかった。
「オガワさん、オオカワさん、ここはワタシに任せてください。多くの聴衆の前での演奏は慣れていますから。じゃあ、
アユミさん、打ち合わせ通りに...」
アユミはにっこりベンジャミンに微笑みかけてから、キーボードの演奏を始めた。