プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生223」

小川はディケンズ先生とピクウィック氏が一所懸命に説明するのを一言も聞き漏らさないようにと二人の口許を
見ながら話を聞いていた。
「そうですね、まず挨拶の最初は型通りのものをすればよいでしょう。妻がいつもお世話になっているであるとか、
 妻がアンサンブルの一員となったことで毎日楽しそうにしていると言って、メンバーに耳を傾けさせる。
 そこでさっきの文章を引用し、「人生においては、ピクウィック氏の帽子のように自分の思い通りにならず戸惑う
 ことがあります。そんな時に4人の人物が加勢し帽子を追いつめたら、帽子は最後は白旗を揚げるでしょう」と言うと...」
「そ、それではぼくたち4人が、帽子で表現しているメンバーを懲らしめるぞと言っているのと同じです。やはりこの場合、
 帽子をメンバーと考えるのではなく、メンバー、秋子さん、加勢する4人が一緒に追い続ける夢と考えるのがいいでしょう。
 で、こんなのはどうですか。「ここで言う帽子というのは、われわれが追い続ける共通の夢です。それは市民会館で毎年
 演奏会を行うというのも夢かもしれません、日本の有名なコンクールに入選するというのも夢かもしれません、いや
 世界にだって。そういうみなさんの夢を実現させるためのお手伝いを微力ながらさせていただこうと思っています」」
「ピクウィックはどう思う」
「先生、これ以上他の箇所を紹介する必要はないと思います。小川さんはこれを中心に据えて簡潔に挨拶できるように
 文面を考えればいいと思います」
「そのとおりだ。山椒は小粒でもぴりりと辛いという挨拶文がいいだろう」

小川はしばらく挨拶文を思案していたが、考えがまとまると一気に書き上げた。まだ午後10時すぎだったので、秋子が
いる和室に戻った。
「さっき、秋子さんが言っていた挨拶文を考えたんだけど...」
「ああ、これね。読み上げてもいいかしら、じゃあ。「いつも私の妻秋子がお世話になっています。秋子が皆様方と一緒に
 アンサンブルをするようになって、週末に楽しみがあるからと毎日張り切って仕事に出掛けるようになりました。ご承知
 のことと思いますが、秋子は中学生の時からクラリネットを勉強しており高校2年の時にはプロの演奏家と一緒に
 演奏をしました。大学時代それから就職してしばらくはクラリネット演奏をしませんでしたが、京都から東京に住む
 私を訪ねて来るようになった頃から、クラリネット演奏を再開しました。こちらにおられるアユミさんのピアノ伴奏で
 近くの名曲喫茶でコンサートするようになって、独奏曲をジャンルを問わず演奏して来ました。娘二人も音楽好きで
 それぞれピアノとヴァイオリンを習っていますが、そういう子供たちを見て、秋子もクラシック音楽のエッセンスとも
 言うべき、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどの室内楽をしてみたいと思ったのです。
 話は変りますが、私は大学時代から19世紀のイギリスの文豪ディケンズの作品を愛読しておりますが、彼の作品である
 「ピクウィック・クラブ」の中につぎのような文章が出てきます。「人生の生涯のうちで、自分の帽子を追いかけている
 瞬間ほど、滑稽な当惑をおぼえ、慈悲深い同情に出逢わぬときはない。多くの冷静さ、ある独特な判断力が帽子をつか
 まえるのには必要である。あわてすぎてはいけない。さもないと、それを踏みつけてしまうからである。余り先まわりを
 してはいけない。さもないと、それをすっかり見失ってしまうからである」ここにある帽子というのは、われわれが追い
 続ける共通の夢です。ひとりで追いかけていると夢はなかなか実現しませんが、みんなで共通の目標を持って研鑽を重ねた
 ならそれは近い将来現実のものとなるかもしれません。共通の目標は市民会館で毎年演奏会を行う、日本の有名なコン
 クールに入選する、いや世界にだって、などいろいろありますが、そういうみなさんの夢を実現させるためのお手伝いを
 微力ながらさせていただこうと思っています。私は残念ながら、指導をするほどの力量は持っていませんが、ここにおられる
 ベンジャミンさん、大川さん、アユミさんは皆様の夢をかなえるために精一杯応援させていただこうと考えています。
 どうぞ秋子とわれわれ4人、皆様と共に歩んで行こうと考えていますので、よろしく願いします」とても、すばらしいわ。
 はやく、その日が来るといいわね」
「そうだね」