プチ小説「たこちゃんの曙光」
ホープ、エスペランサ、ホフナングというのは希望のことだけれど、ぼくは若い頃は身の程を弁えて高望みをせず
日々落ちついた暮らしをしていこう、そのためには波風を立てないで人にも迷惑をかけないで生きることが大切と思い、
必要最小限の人間関係は大切にするけれど、必要がなければ人との交際を敢えて求めることはなかった。ところが
最近になって小説を出版することになり、仕事以外で多くの人と興味深い話をする機会が多くなり幅広い人間関係の
大切さを実感するようになった。その人間関係をいかに充実したものにして行くかどうかに、将来に希望の持てる
人生にすることができるかどうかの鍵が隠されていると思うようになったんだ。それで遅きに失してしまった感があるが、
多くの人との交流を大切にしたいと思っている。よく一緒に仕事をしている人よりも同じ趣味に興じている人の方が
親密になれるという話を聞くが、できることなら好きな物書きの仕事を本業としてし続け、昔からの友人、最近親しくなった
出版社の方々、イラストレーターの方、ディケンズの愛好家の方々と親交を深めることでより充実した人生にして行けたら
いいなと思っている。学生時代にお金が掛かる趣味を諦めたぼくは本を読んだりラジオで音楽を聴くことで余暇を過ごして
いたが、今でも読書と音楽鑑賞が主たる趣味で、自分の自由な時間をそのためにつかうということに変わりはない。
幾多の変遷を経て今では西洋文学とクラシック音楽を愛好しているが、この傾向は今後も変わらないだろうと思う。
というのも小学生の頃から孤独な魂を癒してきた本と音楽のぼくの嗜好の極地が、ディケンズを筆頭とするイギリス文学と
古典派、ロマン派を中心にしたクラシック音楽にあると最近気付いたからなんだ。好きなクラシック音楽を聴きながら
楽しい小説やクラシック音楽に関するエッセイなんかを書くことで生計を立てられたら、今まで積み重ねて来たことが
報われたように思うし、小説から学んだことを読者にわかりやすい言葉で提供して読書の楽しさをひとりでも多くの人に
知ってもらえれば、今まで多くの知識や感動を与えてくれた書物に恩返しができるような気がする。
駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、昭和40年代の歌謡曲が好きなようだが、本はどんなものを
読んでいるのだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ、ブエノスディアス テンゴアフィシオン
アラレクトゥーラ」「えっ、そうなんですか。鼻田さんも本好きだったとは...。知らなかったなあ。で、好きな作家はどなた
ですか」「まあ、そんなに尊敬してもらわんでええよ。前にも言うたやろ。わしの情報源はスポーツ紙やから、小説もそこに
載っとる小説ということになるんやから」「そうですか。でも、世界の名著を読むことは人生に活力と潤いを齎すと思いますから、
是非文庫本ででも...」「ええかよう聞き、わしがあのちいこい文庫本というやつを背中を丸めて読んでいるのが想像できるか。
それよりかふんぞり返ってスポーツ紙を見ているの方がよっぽどわしらしいと思うで、人には向き不向きというのがあるのと
ちゃうんかな。ところであんたさっきから、手に持っとるの雑誌とちゃうんか」「そうです」「えらい嬉しそうな顔をしとるけど、
なんかええことあったんか」「ええ、これは、mr partner という雑誌の9月号ですが、私の本の書評が掲載されているんです」
「なんやてー、ほらほら、なんちゅーたかな、あの本」「「こんにちは、ディケンズ先生」船場弘章著 近代文藝社刊のことですね」
「その船場はんの本の書評が、ここに載っとるのか」「そうです、100ページのここに...」「ほんまやなー、だが、これで満足
したらあかんよ」「ええ、もちろん、今から職場に行きますから、休み時間に30人くらいの人に見せびらかそうと思っています」
「わしがいいたいのとちょっとちゃうけどな、まあええわ。でも、誰かにこのことを祝ってもらったんやろ」「ええ、ロール
ケーキに蠟燭を灯してひとりで祝ったと言ったら、前に一緒に仕事をしていた方から居酒屋で祝おうと言われ、おでんとやきそばで
祝ってもらったんです」「そうか祝ってもろたんやったら、わしは自分の役割を果たすことにするわ。さあ、いまから明日のために
鍛えるでぇー。うさぎ跳びとリヤカーごっこを今からやるからな。ついといで」そう言って鼻田さんがうさぎ跳びを始めたので、
それに続いたのだった。ぶつぶつぶつ...。