プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生227」

小川は金曜日に届いた相川からの手紙をじっくり読み直し返事を書くために、日曜日の午後、名曲喫茶ヴィオロンに来ていた。
小川はマスターが注文を取りにくると、コーヒーを注文し、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」
をリクエストした。
<他にお客さんがいない時、マスターはすぐにリクエストを掛けてくれる。ありがたいことだ。でも、ほんとにこの曲はいいなあ。
 ノスタルジックな雰囲気なさせてくれるから。それに...、それに催眠効果も群を抜いている。あー、眠くなってきた>

小川が眠りにつくと、ディケンズ先生が夢の中に現れた。ピクウィック氏も一緒だった。
「やあ、小川君、久しぶりだね」
「先生、それにピクウィック氏も。お元気そうでなによりです」
「そうなんだ、私の生誕200年を祝うためにいろいろ準備してくれていると聞くと、それだけで感謝の気持ちで一杯に
 なって、元気が出てくるんだ。ところで小川君も何かしてくれると言っていたと思うが...。なんだったかな」
「えー、なんでしたっけ」
「確か小説を書くと言ってなかったかな、ピクウィック」
「先生、小川さんの得意技、自分に好都合な状況判断に気をつけてください」
「ほう、それはどういうことかな」
「小川さんは、きっとこう言いますよ。「ベンジャミンさんのお相手をしなければならないので、超忙しい。それに秋子さんと
 一緒にアンサンブルが成長して行くのを見守らないと...。だから小説を書くのはこれが終わってからにしよう」と」
「それは、少しおかしいな。だって、ベンジャミンは誰とでもうまくやっていくから、わざわざ横についている必要も
 ないだろうし、アンサンブルだって秋子さんがいるから何も小川君が腕を組んで見ている必要が果たしてあるのかな」
「ううっ、仰るとおりですが、それではどうしろと」
「先生、私がお答えしますね。小川さんはアユミさんから過激な叱咤激励を受ける前にさっさと小説の続きを
 相川さんに送って添削してもらうことです」
「......」

小川は夢から覚めると近くのランプの形をした照明器具を見つめたが、目が潤んでいるためかぼやけて見えた。
ハンカチを当ててから横を見ると大川とアユミがいてぎょっとしたが、ふたりとも目を閉じて曲に聴き入っていたので、
アユミからの攻撃を回避するために相川への返事に加えて、小説の続きを考えることにした。

相川隆司様
お手紙ありがとうございました。相川さんが言われるように、今年の日本の夏は暑いですが、それよりもベンジャミンさん
を筆頭にして、大川さん、アユミさん、秋子がそれ以上に熱く期待に胸をふくらませてアンサンブルの指導に励んでいます。
ベンジャミンさんとふたりでディケンズ先生のことを話す機会はありませんが、来春に一所懸命練習した成果を発表して、
その後に時間ができればふたりだけでじっくりディケンズ先生の話をしたいと思っています。それまではベンジャミンさんは
自由にアンサンブルのメンバーの指導をされますし、今までと変わらない週末ですので、相川さんに見てもらえるのなら
小説の続きを送ろうと考えています...

これで申し開きができると思ってアユミを見ると、視線がかち合った。どうやらブランデー入りのコーヒーを飲んでいる
ようだった。しばらく大川夫婦はテーブルを挟んで組み合っていたが、アユミは夫の制止を振り切って小川の席にやって来た。