プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生228」
アユミは小川の席に勢いよく突進したが、小川が手紙を見せると少し冷静になった。すぐ後ろには心配そうな顔をした
アユミの夫がいた。
「あんた、いいところにいた。ちょっと聞くけど、小説は書いてるんだろうね。こんなところでのんびりしているひまなんか
ないはずだよ」
「やあ、アユミさん。それに大川さんも。本当にここは天国ですね。涼しいし、音楽は心地よいし...」
「答え次第で、天国でも地獄でも行かせてあげるわ。さあ、さっさと言ったら、最近は小説を書いていないと」
「まあまあ、地獄は家に帰ったら、ぼくが行くから、ここは穏便に話し合いをすることにしましょう。ところで小川さん、
その手紙には何が書いてあるんですか」
小川が大川に手紙を渡すと大川はそれを読み、アユミにそれを渡した。
「なるほど、「それまではベンジャミンさんは自由にアンサンブルのメンバーの指導をされますし、今までと変わらない
週末ですので、相川さんに見てもらえるのなら 小説の続きを送ろうと考えています...」と書かれてある。これは
小説をすぐにでも書いて、相川さんに添削してもらう意思が見られる」
「あなた、なにを言ってるの。手紙は相手に届かない段階ではただの紙くずよ」
「何を言っているんだ。発生主義という考え方があって、その意思を持った時点で有効になるという考え方があるんだ。
アユミの考えは到達主義と言って、相手方にその意思が到達しないと有効にならないと言う考え方だが、どちらも、
ぐぇっ」
「私、理屈っぽいのはきらいなの。さあ、今度はあなたが自分の意思を明らかにする番だわ」
小川は、目を潤ませて発言を促す大川とアユミの間に入り、アユミに向かって話しかけた。
「て、手紙に書いてあるとおりですよ。その意思があるということを信じてほしいな」
「ほら、ああいう風に小川さんも言っていることだし、今日のところはもうここをお暇しようじゃないか」
「そうね。でも、次はこんなこと通用しない」
そう言って、アユミは次の予告をするかのように夫にアトミック・ドロップをかけたが、苦悶の表情を浮かべていた夫が
立ち上がると支払いを済ませて店を出て行った。
小川はしばらくの間、平静に戻れなかったが、落ちつくと手紙の続きを書き始めた。
深美のコンサートに出席できないことは気がかりなのですが、相川さんがそばにいてただけることを確認でき、ほっとしています。
仕事の都合でどうしてもそばにいて励ましてやれないのが歯痒いのですが、その分帰国してコンサートを開く時には精一杯
できることをしてやろうと考えています。相川さんにはお世話になり通しですが、今後とも深美のことをよろしくお願いします。
小説を同封しますので、ご指導下さい。添削は急ぎません。来週もベンジャミンさんが来られるので、わが家が賑やかになります。
桃香はベンジャミンさんと仲良しでお互いを友さんと読んでいます。これは、ディケンズの最後の完成した小説「互いの友
(我らが共通の友)」に関係があるのですが、これは桃香もディケンズファンになりつつあるからと考えていただいてもいいと
思います。それではお身体に気をつけて、お仕事頑張ってください。
小川 弘士
小川は手紙を書き上げて小説を書き始めようとしたが、小川以外に誰もおらず小川のリクエスト曲も終わりに近づいていたので、
もう一度マスターに声を掛けることにした。