プチ小説「たこちゃんの旅情」

トラベル ヴィアへ ライゼ というのは旅行のことだけど、ぼくは中学2年の時に大阪から四国の高松まで弟と2人で
旅行して以来、秋の気候のよい頃を中心に旅行をして来た。当時はまだ瀬戸大橋が開通してなかったから(山陽新幹線は
開業したばかりだったが)、岡山から在来線で宇野まで出て高松ゆきの連絡船に乗ったんだ。栗林公園と屋島を見て帰途に
着いたが、その時に無事に帰れたことに気をよくして、ぼくは秋になるとどこか遠くへ出掛けたくなり、ほとんどが計画性もなく
衝動的に旅行をしている。思えば、旅行をしたい気持に拍車をかけたのは中学2年の頃にテレビで見た「旅情」という
キャサリン・ヘップバーン主演の映画だったように思う。仕事に一所懸命の毎日を過ごしていつの間にか40才近くになった
女性が男性との出会いを期待して水の都ベネチアへとやってきた。男性と出会い、楽しい日々を過ごすがその男性には家族
があることを知り、苦渋の決断をして愛する人の許を去って行く。最初で最後の恋愛になるかもしれないのに...。
この映画を見て、頭の中に刷り込まれたことがあるんだ。40才近くになって身を切るような辛い別れを経験したく
ないから、若いうちに何度も旅行に出掛けて異性と出逢う機会を作っておこう。大金を蓄えて遠路はるばる憧れの地に行けた
としても、意気込みがあったとしても、出会いの機会はあまりかわらないので、安近短でいいからとにかく秋になったら
出来るかぎり旅行に行こうと思ったんだ。パックツアーなら、バスで隣の席に座った人と懇意になって住所交換も
可能だろうが、ぼくはいつも切符を買って宿を手配しガイドブックを見ながら行きたいところへ行く旅をしているから、新幹線や
特急列車で隣の人と話すくらいしかできないし、それに隣に座るのはたいがい30〜60才の男性なんだ。キャサリンさんは
ベネチアに長期滞在していて、哀しい結末となってしまったが、よい思い出を作れたわけだから(ロッサノ・ブラッツイが
クチナシの花を高く掲げて、キャサリンさんが歓喜の表情をする。あれはよい思い出が出来たからだと思う)一度は海外の
古都に長期滞在してみたい気がする。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、しばしば旅行に行くのだろうか。
そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス エンエルヴィアヘウンコンパニェロイエンラヴィダ
シンパティア」「そうですよね。旅行は人と親しくなるよい機会ですよね。鼻田さんもこの秋どこかに...」
「何言うてんのん。わしら、旅行に行く元手もヒマもおまへん。でも子供が大きゅうなったら、おとうさん、一緒にいけへん
なんて言ってくれるかもしれへん。ま、それに少し期待しとるんやけどな」「いいですね。そう言ってくれると...」
「それよりか、船場はん、あんたの小説「こんにちは、ディケンズ先生」船場弘章著 近代文藝社刊は、売れとるんか」
「それが...」「そう言うやろと思た。ええか。船場はん、よう聞きや」「な、何ですか」「あんたは昨年、自分の本を出して
出来るかぎり頑張って来たやろ」「まあ、そうですね」「ところで、わし、思うねんけど、船場はん、一度こうやと思たら、
突っ走るところがあると思うんや。2つのことを除いてはな」「......」「ひとつはあんたの想像に任すけど、もう一個は恋愛に
ついてや」「両方とも中途半端ということですか」「ちゃうちゃう。アクションも起こしてないのに、中途ということがあるかい。
まずは切っ掛けを作らなあかん」「切っ掛けですか」「そうや、船場はんは自分の小説が売れて、有名になったら、何百人もの
女性が好意を持ってくれると思とるんやろけど、そんな甘いもんとちゃうで」「そ、そうなんですか。でも、何の取り柄もない
今のぼく偉そうなことは言えないと思うんですが...」「前から、わし思っとったんやけど、船場はんは賭け事を一切せーへんからか、
妙に潔癖なところがあって、手持のことしか考えへん。夢を語るのが苦手なんや。例えば、「こんにちは、ディケンズ先生」は
そのうちようけ売れまっせと言うだけで、毎日、50人の女性が通勤途上、取り巻くことになると思うでぇ」「でも、実際の
ところはどうなるかわからないし...」「そら、公立図書館や大学図書館のホームページに掲載され書評が雑誌に掲載されたので、
少しずつ知名度が上がっているけど、売り上げが伸びてないのは周知のことや。売れてるって話は誰からも聞かへんから。そやけど、
女性というのは男に夢があるというそれだけで、魅力を感じるものなんや、そやから...。なんや肝心な話をしたろと思うたのに、
にこにこしてどっか行ってしもうたわ。ぶつぶつぶつ...」