プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生233」
アンサンブルのメンバーと一緒にアユミとベンジャミンが演奏を始めると、大川はそこを離れて小川のところへ
やって来た。
「小川さん、やっぱり自分が演奏しなければ楽しくないですよね」
「まあ、そうですが、やっぱり音大を卒業された方はぼくなんかとは違うなと思いますね」
「そりゃー、彼らは音大に入る前から音楽の基礎を身につけるために日々努力を重ねて来たわけで、それに音楽的な
素養もあるし。だから昔の感覚を取り戻してよい指導者がつけば、一廉の演奏家になる可能性は十分にあるのです。
それに音楽家を志した人はもともと音楽が大好きなわけですから、条件が整えば寝食を忘れて練習に励むのです」
「そういえば、秋子さんも、アユミさんとベンジャミンさんから指導してもらうようになってから、他のアンサンブルの
メンバーの音楽に取り組む姿勢が変わったと言っていたなあ。ところでこれだけたくさんのメンバーが
一度に演奏する曲があるのですか」
「まあ、私が編曲した曲を別とすれば、ないと言えるでしょう。でも、ベンジャミンさんはヴィオラも演奏できるので、
例えばモーツァルトの弦楽五重奏曲をやりたいと弦楽セクションの人たちが思えばメンバーは揃うわけです」
「そうなんですか。ぼくは一つの曲を時間を掛けてみんなで仕上げて行くのかと思っていました」
「小川さんは多分アンサンブルをオーケストラのように考えておられるのでしょう。固定のメンバーがひとつの曲に取り組む
のが基本だと。でもオーケストラも実際のところは曲に会わせて大編成の場合も小編成の場合もある。大編成の場合には
自前でできないので、他のオーケストラに協力を求めたりするのです。まあ端的に言うと、音楽家は自分の好きな音楽を
極めて行くためにはどんな曲であってもどんな編成であっても自分の楽器のパートがありさえすれば、一員となって
今まで身につけた技術や技巧を精一杯に披露しようと考えるのです」
「よくわかりました。ここは大川さんたちの持ち場ですよね。だから...ぼくもこの場は大川さんたちにまかせて、
来週からは自分の持ち分の小説をせっせと書くことにします」
「そうですね、相川さんもきっと小川さんから小説の原稿が届くのを首を長くして待っておられると思いますよ。
それからベンジャミンさんには、時間ができたらゆっくりディケンズについて語り合いましょうと小川さんが
言われていたと伝えておきます。彼のことは秋子さんやぼくたちに任せてください。ぐえっ」
アユミは大川の鳩尾にパンチを入れた。
「あなた、それでベンジャミンさんが納得すると思っているの」
アユミはそう言って大川のお尻をチャンネルを回すようにして抓った。
「だって、おまえ、うーーーーっ、お、お尻を抓るのはや、やめてくれ...」
大川がアユミの波状攻撃に耐えかねて、ベンジャミンさーんと叫ぶと、ベンジャミンが秋子と一緒にやって来た。
「あら、3人で何を話していたの」
「秋子さん、あなたはどう思われますか。ご主人はここにいたほうが...。うーーーーっ」
「あなた、秋子は小川さんが一緒にいてほしいに決まっているじゃないの。訊くなら、ベンジャミンさんの方よ」
「オウ、ワタシヨクワカリマセンが、オガワがいたほうが楽しいにキマッテイマス。デモ、ホカにダイジなヨウジが
アルノナラ、シカタがナイデスね」
「そういうことだから、小川さんは安心して執筆に専念されればいいわよ」
「......」