プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生237」
小川は相川から送られて来た手紙を秋子と桃香に今日中に見せたかったので、仕事を少し早めに切り上げて帰宅した。
玄関でチャイムを鳴らしても誰も出てこないので、小川は仕方なく自分で鍵を開けて家に入った。リビングに入ると
秋子と桃香がいたが、ふり向こうとせずに一心にテレビを見ているので、小川は仕方なくテレビの画面に見入った。
「なんだ、ふたりとも。お帰りくらい言ったっていいだろ。水臭いじゃないか。......。おおっー、こ、これは...。
深美じゃないか。どうしたんだ。なにかあったのか」
秋子は次のニュースが始まるのを確認して、小川の方を見て微笑んだ。
「おかえりなさい。深美がニュースに出るって今日来た手紙に書いてあったんで、今それを見ていたのよ」
「お姉ちゃん、かっこよかったね」
「そうね、先生や聴衆の方のお話も概ね好意的だったし...」
「そりゃー、こうなることは最初からわかっていたさ」
「ふふふ、お父さんは、ロンドンに行く前からずいぶん期待していたものね。でも...」
「なんだい、なにか問題でもあるの」
「これからのことをどうするかということ。そのまま学校に残って活動を開始するというのがあるけれど、これだと
2年に一度くらいしか家に帰って来られないでしょう」
「うーん、学業と演奏活動を両立させるとなると今以上に忙しくなるだろうな」
「日本に帰って、高校に編入する。深美は17才だから高校2年生なのよ。そうして今までのブランクを回復させる
という選択肢もあるけれど...」
「今は日本も国際化しているから、帰国子女の一時的な受け入れもできるんじゃないか...」
「いいえ、私はなんとか大学を出て幅広い教養を身につけてから、世界に雄飛してほしいと思うのよ」
「そうかなー、ぼくは向こうで十分に一般教養は身につけていると思うから、敢えて日本の高校、大学で勉強しなくても
いいような気がするけど。桃香はどう思う」
「私、お姉ちゃんが前と同じだったら、それだけでいいわ」
「今、テレビで見た深美の様子を一言で言うと、神経質そうで壊れやすい精密機械という感じだったわ。限られた期間で
結果を出さないといけないから、やりたいことができなかったと思うの。手紙は定期的に送ってくれたけれど、学校の
出来事が書かれているだけで、プライベートな話題はなかったわ。お父さんに似た素敵な男性と友達になったとか...」
「まだ17才なんだから、多くを期待するのは気の毒だよ。そうだ、ここに相川さんからの手紙があるけれど、読んでみないか」
「......。相川さんとは最初から意気投合しているから大丈夫だと思うけれど、問題は同年代の人や年下の子たちと仲良くできるか、
年上の人を敬うことができるかということなの。ゆったりとした時間の中で助け合いながら生きて行く、お互いに協力して
物事を成し遂げるということが一般社会ではとっても大切なことなんだけれど、周りが高い教養の人ばかりの音楽学校で
長い間過ごして、ひとりで頑張って来た深美にそれができるかどうか」
「秋子さんの気持も分かるな。そう言えば、秋子さんが今やっている、アンサンブルはメンバーがお互いに協力してひとつのことを
成し遂げるものだから、そういうことがいかに大切かが身にしみてわかるんだろうな...。おや、こんな時間に誰だろう」
「アユミさんよ、今日、放送されるから、ご主人と一緒に見て、感想を聞かせてねと言っておいたの」
「......」