プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生238」
アユミは夫と一緒に小川の家にやって来たが、少しお酒が入っているようで話をすると高級ブランデーの香りが
辺りに漂った。
「ああ、まさか小川さんが帰宅していると思わなかったので、アユミの要望に応じて酒を与えたのですが...。小川さん、
本当に気にしないでください」
「えっ、ええ。ぼくはこのとおり大丈夫で、ですよ」
「ねえ、ところでアユミさん、さっきのテレビを見てくださった」
「......」
「お、おい、お前、秋子さんが、どうだったと訊いているんだから、何とか言ったらどうなんだ」
「私、複雑な気持なの。今の気持を一言で言えない。それでも話しておかないと」
「アユミさん、じっくり話を聞きますよ」
「ああ、あんたもいるから、ちょうどいいわ。祝杯を上げたくて主人と乾杯したけれど、冷静に考えると
いろんな問題があるので...」
「きっと、アユミさんも、私と同じことを考えているんじゃないかしら。深美の将来のために日本の大学で
勉強するのがいいのかとか」
「秋子が言ってることも大切なことだけれど、さっきテレビで見て感じたことはそういうことではないの。
秋子は深美ちゃんの演奏を聴いてどう思った」
「そうねえ、よくぞここまで演奏できるようになったなと感心したわ。余りに正確なものだから、精密機械のよう
だった」
「テレビはインパクトがある場面を中心にしたがるから...。でも、それだけだったら、普通のピアニストで終わって
しまうんだけれど、深美ちゃんはそれだけで終わらないの」
「そ、それってどういうことなんですか、大川さん」
「え、そ、それは私も今から一緒に聞こうと思っているところなんですよ。ははは。アユミ、続けて続けて」
「深美ちゃんには、ヴィルトゥオーゾになる素質が十分にあるのよ。さっきの放送を見ていてそう思ったの。
前から楽譜を丸暗記する記憶力と正確に演奏する技巧と音色の美しさはあったけれど、さらに自分のスタイルを
確立している。わかりやすく言うと明日からでもステージに立って演奏で聴衆を酔わせることができるのよ」
「アユミさん、いくらぼくたちの子供のことを好きだと言ってもそこまで言われると...」
「あなた、自分の子供のことを理解していないわね。私、そんないいかげんな人を見ていると、天井に放り投げたく
なるって前に言っていなかった」
そう言うとアユミは小川の襟首を掴もうとしたが、夫が制した。
「まあまあ、アユミ、ここは押さえて。帰ったら、ぼくがしてもらうよ。そう言うわけで、ぼくたちはもうすぐ
帰りますが、小川さん、ぼくからも言っておきます。深美ちゃんの場合、才能がよき教師に恵まれて開花した
と言えると思います。これからどうするかが問題ですが、それは深美ちゃんが帰って来た時に家族全員で
じっくりと話し合うのがいいでしょう。いつ戻られるのですか」
「一応、来月1週間の予定で...」
「必要であれば、ぼくたちも加勢しますよ。気軽に声をお掛け下さい」
「秋子、私、思うんだけれど、ここは良識のある大人の意見を言ってあげないといけないと思うの。だから私たちも
一緒に話した方が...」
「そ、そうですよね。ぼくからも言うつもり...」
小川はアユミがビームを発射するように小川の顔に大きなクレーターがあくほど睨みつけたので、黙り込んだ。
「その必要はないと思うわ。あなたは外野席で観戦していればいいと思うわ」
「......」