プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生243」

3人が次にやって来たのは、お茶の水駅近くの楽器店だった。
「今からマウスピースとリードを買うからつき合ってくれる」
「それなら、ついでにお母さんの演奏も聴きたいな。最近、聴いていないから」
「そう言うだろうと思って、楽譜を持って来たの。楽器はいつものように貸してもらうわ。店員さんに訊いてみるね。
 すみません、マウスピースとリードを買いたいんですが、少し吹かせてもらえますか。それから楽器をお借りできますか」
「どうぞ、ご案内しましょう。どのマウスピースにされますか」

店員は準備が整うと、ごゆっくりどうぞと言って試奏室を出て行った。
「おふたりさん、何にしましょうか」
「お母さんにおまかせするわ。ゆっくり寛いで楽しませていただきましょ、ね、お父さん」
「そうだね」

「お母さん、この前聴いた時より」
「ふふふ、ふたりとも驚いたようね。実は最近はお昼休みにも30分ほど練習できるようになったから、
 ずいぶん上達したわ」
「本当にこの調子だとベンジャミンさんが言うように、来春には演奏会ができるんじゃないか」
「ベンジャミンさんって、誰なの」
「お父さんの友達なんだけど、深美も土曜日に会えるよ。音楽大学のヴァイオリンの先生で、今お母さんの
 アンサンブルを指導するために月1回名古屋から来られている。大川さん夫婦ともお友達で大川さんが
 土曜日に来てもらうようお願いしてくれたんだ。それからお父さんと同じようにディケンズ先生の小説が
 大好きなんだ」
「へえ、ベンジャミンさんも来てくれるのね。土曜日は賑やかになるわね」
「それに相川さんだって、アユミさんが連絡を取ってくれて、深美に会いに来てくれるんだよ」
「本当なの。ロンドンで仕事しているのにわざわざ会いに来てくれるの?うれしいわ」
「と、ところで、言いにくいことなんだが...」
「わかってるわよ。お父さん用の楽譜もここにあるから。でも、リードをもう一箱くらいは買ってあげないと
 店員さんに悪いわね」

3人が楽器店を出た時には辺りは薄暗くなっていたが、秋子はもう1ヶ所行きたいと言った。
「秋子さんの気が済むまでつき合うよ。地平線の果てまで一緒に行くとい言ったのだから」
「私もお父さんと同じよ」
「じゃあ、今から渋谷の名曲喫茶ライオンに行きましょ。今日は私が好きなブラームスのピアノ協奏曲第2番を
 リクエストするのよ。バックハウスのピアノ、ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏でね。深美もいつか
 オーケストラと共演できたらいいなと思って」
「お母さん、ありがとう。いつか、きっと、ウィーン・フィルと共演するわ」
「そう、そう思って頑張っていれば、いつかきっと叶うのよ」
「ところで、深美、これからのことだけれど。お父さんは...」
「お父さん、これからのことは今決めるより、土曜日にみんなが集まるからその時に決めましょ。私としては
 今のままで行くか、日本の音大に編入するか、高校に入って一般の大学を目指すかのどれかだと思うけど、
 それについてみんなの意見を聞いてから決めたいの」