プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生11」
小川は、「リトル・ドリット」の終わりのところとそれに続く解説を読むためにいつもの
喫茶店に来ていた。あと10ページで2ヶ月間楽しんだその小説が終わるというところまで来た。
そこで突然、エイミー(リトル・ドリット)がアーサー・クレナムに告白したので、小川は仰け反って
後ろにある壁に頭を打ち付けてしまった。小川は、きっと昨日遅くまで仕事をしたから、どうかして
いるんだと考え、トイレに行ってさわやかな気持ちになってからもう一度読み直すことにした。
席に戻り、もう一度本を開き同じところを見たが、やはりエイミーは、「わたしの愛する
アーサー、もう二度と別れないわ。死ぬまで二度と別れないわよ!...」と言っていた。
小川はレモンティーをすすりながら、独り言を言った。
<いくらなんでも、いくら小説でもそれはありえないと思いますよ、ディケンズ先生。アーサーが
40才で、エイミーが22才との設定だから、アーサーは消極的にならざるを得ないのかなあ。それにしても
僕なら、50才を過ぎても自分から告白すると思うけどなぁ...。でも、その時になってみないとわからないかなぁ>
小川はそそくさと本を鞄にしまうとその店を出た。
小川は喫茶店を出ると電話ボックスに入り、秋子の家に電話をかけた。テレホンカードの度数が少ししか
残っていなかったので、必要なことだけを話そうと思った。ちょうど秋子が出たので、小川は単刀直入に
いまさっき心に刻まれたフレーズを手直しして述べた。
「僕の愛する秋子、もう二度と別れないぞ。死ぬまで二度と別れないぞよ!」
「小川さん、とても嬉しい気持ちもするけど、あまりに突然なんで...。それに私たちには解決しないといけない
問題がたくさんあるし...。でも、ありがとう」
秋子は近く東京に行くと言って電話を切った。その後小川はうきうきした気分がずっと続いた。風光書房の店主に、
筑摩書房版の「荒涼館」は入らないのかと尋ねたり、ライオン、ルネッサンス、ヴィオロンと3つの名曲喫茶を
はしごしたりして、午後9時に自宅に帰った。そして晩ご飯をすますとシャワーもせずに寝床に入った。
「やっと、私の出番だ。陽気に行きましょう。小川君ついに君も、重い腰を上げたね。あとは二人で突き進むだけだね」
「先生、僕は今おのぼりさんになっているから、さめたことは言いたくないけど、秋子さんが言うとおり、僕たちには
解決しないと行けない問題がたくさんあるんです」
「そうだね。でも走り出したんだから、君はいいところを見せないと。まさかアーサーのようにはなりたくないだろ。
アーサーはエイミーのことを思って告白しなかったようにも思えるが、とるに足らぬ存在(ノーボディ)となった自分が
エイミーを幸せにできるとどうしても考えられなかった。二人を結びつけるためにはどうしてもエイミーからの告白が
必要だったのさ。今回も登場の仕方に工夫がなかったので、楽しんでもらってから帰ることにしよう。ではまた」
そう言って、ディケンズ先生は手品師のように次々と大輪の花を出してみせて祝福しその中へと消えて行った。