プチ小説「たこちゃんの訓練」

トレーニング エヘルシシーオ シュルンク というのは訓練のことだけれど、スポーツが上手になるためにはその道の先輩から指導を受け、
彼らの前で反復練習することが必要だとわかっていたけど、ぼくにはそれができなかった。その理由のひとつは自分の体力を知り身の程を
弁えていたからで、しんどくなったらぼくは勝手に身体を動かすことを止めていたんだ。指導者が期待する清らかなひた向きさが欠如して
いると思われ、いつももう君は来なくてよいということになってしまった。もうひとつは小さい頃から備わっている飽きっぽい性格が
原因だと思う。腹筋と腕立て伏せを30回ずつしなさいと言われれば可能な範囲であるので問題ないが、50回ずつしなさいと言われると
困ってしまう。30回を過ぎると限界を感じると共に、同じことを続けることに飽きてくるからだ。そんなぼくだから、大学を卒業して
社会人になると身体を動かさなくなり中年になると体重はみるみる増加し、お腹の廻りはぶくぶく膨れ上がりベルトを乗り越え重力に従って
お腹が垂れて来たのだった。これは大変なことになると思ったぼくは腹筋を始めたがやはり30回が限界で、何かいい方法はないものかと
模索し始めたのだった。まずは腹筋のやり方をいろいろ考えてみた。顔を挙げるだけの腹筋。それと同時に片足を交互に起こす腹筋。
横向きに寝て首の後ろに手をやり腰を支点にして身体を起こす腹筋。首の後ろに手をやってする背筋などバラエティーに富ませると腹筋
ばかりを2時間することも可能になった。ところが腹筋ばかりしていて腹部だけは筋肉がついてうっすら割れて来たけれど、それだけでは
何にもできないことに気がついたんだ。そこで職場におられた空手の達人に下半身を鍛えるためには何をすればよいのか尋ねたのだった。
その方はにこにこ笑いながら、掌を下に向けて腰の前に当て脚で蹴り上げるようにすれば脚力がつくと言われた。ぼくが、どのくらいすれば
よいのですかと尋ねるとその方は、最初から何時間もするのは無理だから、1分間を5セットから始めるとよいと言われた。このトレーニング
をすぐに始めようと考えたが、バラエティーに富ませることが難しいことに気がついたぼくは、方法を考えるのは止めて、目先の情景を変えて
飽きが来ないようにした。テレビを見ながら腿あげをするようにしたんだ。1ヶ月続けると1時間続けて腿をあげるのもお茶の子さいさいになり、
その夏には槍ヶ岳登山もできるようになったんだ。そんなわけで、過去を振り返ってよく考えてみると、ぼくはスポーツだけでなくなんでも
同じことをうまくいかないのに続けているとお尻が落ちつかなくなり、それを回避するために目先の違うものを求めるようになり、それがあれば
瞬時に飛びついてしまうことに気がついたんだ。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、ぼくと違って、根気よく続けて
栄光を掴んだことがあるのだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアスセメアカボーラパシエンシア」
「何かあったのですか」「いやー、最近、お客さんが少のーて、困っとるんよ。朝、こうして、30分じっとしているというのがざらなんや。
そうや、今暇やから、なんか景気のええ話、聞かしてくれへんかな。あんたの著書、なんちゅーたかな」「「こんにちは、ディケンズ先生」
船場弘章著 近代文藝社刊のことですか」「そうそう、それどーなっとるん」「昨日数えたら、大学図書館は39ですが、公立図書館は88
になりました。この調子で今年中に合わせて200まで受入れていただいた図書館が増えれば...」「どないかなるのん」「いいえ、なにも
ありません。でも、たくさんの方が読んで下さる可能性が広がります」「そうかいな。まあ、地道にがんばりや。で、女の子の方はどうなんや」
「この前、言っていた女性には、振られました。これで30回目になります」「そうか、それはよかったなー...。この調子でがんばりやーって、
言う訳行かへん。......。それであんたどうすんの」「まあ、深刻に考えても埒があくわけでないですし、ぼちぼち行きますよ」「ぼちぼちって
あんた。もっと現実的にならなあかんよ。わしが言うのもおかしいけど」「ええ、それは鼻田さんが仰る通りです。でも、現実的って
なんでしょう。恋愛というものは縁のもんですから、あせっても仕方がないでしょう。気持が乗らない女性を無理強いしても、お互い不幸に
なるだけなんですから。むしろ自由を楽しんでいた方がよいのかもしれません」「船場はん、あんたの気持はよーわかるが、わしはそんな
厭世的な独り善がりな仙人みたいな考え方は嫌いやな。男は打たれ強くならんとなー。人生それでお仕舞いになると思うんよ」「では、
どうしろと仰るのですか。うさぎ跳びとリヤカーごっこですか。この前にいただいたゴーグルも持って来ていますよ」「いや、もっと
目ぇむいて、こんな辛いことはでけへんというようなエクササイズをやってもらうでぇえ...」「そうですか。でも、楽しみだな」「よし、
これでいくでぇ。こういうことになるやろ思うて、ちょうど用意してきたんや」「それは、ラジカセですね。スイッチを入れましたね。
うーん、これは困ったな。急所をつかれてしまった。どうしようかな、困ったな」「そうやと思うてん。船場はんはフォークダンスなんか、
照れてようせんやろと。でもここには人類の英知が詰まっとるんや。このオクラホマミキサーが終わったら、次はマイムマイムやで」
「で、これでどうしろと言われるんですか」「そらー、決まってるやんか。とりあえずわしと踊るんや」そう言って鼻田さんが手を取って
指導してくれたので、ぼくは鼻田さんとフォークダンスを踊ったが、そうこうするうちに近くの人も加わって、阪急A駅前は老若男女による
フォークダンス大会が始まったのだった。