プチ小説「音楽のストリーム」

会社の仕事に明け暮れたゴールデンウィークの最後の日、梅田は正午すぎに自分の席でそっと携帯ラジオをつけた。しばらくすると彼が
好きな「ロンドンデリー・エア」が流れて来た。昔から聴いている曲に耳を傾けているうち、この曲にまつわるエピソードや彼自身の体験が
奔流のようになって彼の頭の中を駆け巡った。

ぼくがこの曲を最初に聴いたのはいつだったかしら。きっと中学生や高校生の頃にも聴いたのだろうけれど、やっぱり高校を卒業して
ヴァイオリンの独奏で聴いてからこの曲を愛聴するようになったんだ。クラシック音楽のファンになって間もない頃、イツァーク・パール
マンというヴァイオリニストが来日して、クライスラーが作曲した曲や編曲した曲を演奏していた。彼の演奏がとても好きになって彼の
クライスラーの小品集の2枚組の廉価盤を購入したが、中でも「ロンドンデリー・エア」の素朴で温かいメロディーは、当時先が見え
なかったぼくにろうそくの明りのように微かだが希望を持たせる曙光となった。このアルバムにはこの曲の他に「愛の喜び」「愛の悲しみ」
「美しきロスマリン」「ウィーン奇想曲」「中国の太鼓」などクライスラーのよく知られたオリジナル曲も入っていたが、ぼくは
「ロンドンデリー・エア」になぜか心引かれた。ちょうど海綿が水を吸収するようにぼくの心が受け入れ自然に身体の中に染み渡って行った
という感じだった。その後クライスラーが先輩の作曲家のメロディーをヴァイオリン用に編曲して自分で演奏しているのを知ったが、
チャイコフスキーの「アンダンテ・カンターヴィレ」、ブラームスの「ワルツ」、ファリャの「スペイン舞曲第1番」なんかは本当に
すばらしいと思う。SP盤は自宅の電蓄が壊れていて今は聴くことができないが、いつかは「ワルツ」やクライスラーの自作自演を
じっくり聴いてみたいものだ。そういえばクライスラーの自作自演などのLPのHMV盤が手に入ったのは幸運だった。イギリス盤で
音が良いものだから、いちいちSP盤を購入する手間が省けた。SP盤はガリ=クルチのレコードをたくさん購入したけれど、クライスラーや
ガリ=クルチのレコードはいつか自分で大型蓄音機を購入して一枚一枚じっくり味わってみたい気がする。もちろん
「ロンドンデリー・エア」は、いの一番に。そうだ忘れていた。この曲はクラシックだけでなく、ポップスやジャズナンバーとしても
愛奏されている曲だった。ジャズの演奏ではビル・エバンス・トリオだろう、「エンパシー」というアルバムの中に「ダニーボーイ」は
入っている。アルバムのぽっかり穴が空いた四角柱のオブジェの写真は男女の別れを歌った歌詞の内容を形にしたようで、寂寥感を
募らせる気がする。この演奏の終わりのところでシンバルが悲しげに響くところがあるが、この演奏いやこのアルバムの白眉という気が
する。30年以上前からこの曲に親しんで来たが、キーボードやハーモニカで演奏するだけでは飽き足らなくなって、もっと音域の広い
思いっきり感情移入ができる楽器で演奏できないものかと思いはじめた。クラシック音楽の簡単な曲が演奏できればと思ってクラリネット
を習いはじめたのだったが、じっと自分の半生を顧みてクラリネットを習いはじめた真の理由を探って行くとこの「ロンドンデリー・エア」
を自分で演奏することに行き当たるように思う。実際、習いはじめてすぐに思ったのが、この曲をまず通して吹けるようになろうという
ことだった。うまい具合に市販の教則本にこの曲の楽譜が載っていて最初の頃は練習の時にいつもこの曲を演奏したものだった。
これからもこの愛らしい曲とつき合って行きたいと思うが当面は人前でこの曲をクラリネットで演奏できるようになりたいと思う。
そのためには「ダニーボーイ」の歌詞をよく味わっておくことも必要かもしれない。感情を移入するためには、その媒介となる詞の内容を
知っていれば、より深いものになると思うし、何より今までよく知らなかった「ダニーボーイ」の歌詞をじっくり鑑賞するいい機会
だと思う。まだまだ、この愛らしい曲とのおつき合いは続くのだろうな。

「せんぱーい、ぼくもその曲大好きなんです。今日もお昼は外に食べに行くんでしょ。おごってくれるんなら、ご一緒しますよ」
「そうか、それなら、おごらせてもらうよ」