プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 トレイン編」
毎晩、毎晩、毎晩、毎晩、熱帯夜ちゅーのは、どういうこっちゃ。たまには一晩中扇風機をかけんですむような
ちょっとは涼しい夜がこんかいな。わしの家にはエアコンなんちゅーええもんはないから、扇風機と窓から入る
生温い風で我慢せんとしゃーない。わしの家は単線の鉄道の際にあるから、終電の時間になって車どおりも人どおりも
なくなると、もの悲しい音で電車が通り過ぎよる。がたんごとんがたんごとんがたんごとんがたんごとんがたん
ちと感傷的になってしもうたが、わしは電車がすきや。父親が国鉄職員やったからかもしれん。小さい頃は
おとんが肩車してくれて線路際まで連れていってもろうて、飽きることなく電車が通りすぎるのを眺めてた。
もう少し大きくなると、ひとりで電車に乗ってあちこち出かけた。わしらが子供の頃には、茶色の電車がまだ現役で
床には油が敷かれていて、そのにおいは、自分の通う小学校の教室の床のにおいと同じやった。ううっ、あの頃は
まだわしも清純やった。高校の頃は、成績がさっぱりやのに夜明けまで深夜放送を聞いて3時間ほど寝てから
学校に行くという生活をしとった。そのころに2つ、電車が動いているがたんごとんを連想させる曲に
出会うた。その頃、京都で活躍していたナターシャセブンがアメリカの曲に自分たちで歌詞をつけて歌っていた。
わしは、「フレイト・トレイン」も好きやったが、夜中の2時前に彼らの番組のエンディングでかかる「ヘイ・ヘイ・ヘイ」が
哀愁を帯びた曲で大好きやった。これが聞きたくて午前2時まで起きていたと言える。歌詞の中に出てくるんやが、わしも
夜明けの電車に飛び乗って、ナターシャセブンの歌でも口ずさみながら、都会へと出発する日が来るやろと思っとった
んやけど、そうは問屋が下ろさんかった。相変わらず、同じ場所で縮こまっとる。その頃に洋楽もよう聞いとったけど、
グランド・ファンク・レイルロードの「ロコモーション」は電車のがたんごとんのイメージさせる好きな曲やった。
30頃になってジャズを聞くようになったんやが、コルトレーンのアルバム「ブルー・トレイン」のA面を聞いた時には、
電車の曲をきく、わくわく感がまた広がりよった。「ブルー・トレイン」も「モーメンツ・ノティス」も電車が疾走する
感じがよう描写されとる。「こんにちは、ディケンズ先生」の作者船場弘章は浪人時代からのクラシック音楽の
ファンやっちゅーから、かれもうんちくんを傾けてくれるやろ思て、おーい、船場、お前、そこにおるんやろ。何してんねん。
はよう、お前も、うんちくんを傾けるんやちゅーたった。船場は背中を向けて、こっちも向かんと言いよった。
にいさん、そんな羽目はずすにもほどがあります。もっとさわやかに正しい日本語を使ってくださいと言いよった。
わしは、それなら、うんちくんを重ねるはどやちゅーたった。船場はますます困った顔をしよったんで、ほんならなー、
うんちくんを注ぐはどやちゅーたら、にいさん、遊ぶのにもほどがあります。にいさんがいいたいのは、蘊蓄を傾ける
でしょ。ところでわたしはクラシック音楽で、電車をイメージする曲は知らないけど、汽車ならあります。オネゲルの
パシフィック231という曲があって、この曲は蒸気を吹き出しながら疾走する汽車を描写しています。そうだ、もうひとつ
ありました。ヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第2番の最終楽章が疾走する汽車のイメージで車窓からの景色が目に浮かんでくる
ようですよ。にいさんもクラシック音楽聞かはったらどないですと言いよった。わしは、人生の盛りを越した男や
そんなおっさんが今更、そんなむつかしいもんが聞けるかと説教したったら、船場は、毎晩、「ブルー・トレイン」ばっかり、
テープレコーダで聞いている、にいさんには頭が下がりますが、飽きが来ないですかと訊きよったから、わしは、
お前、そんなんして、次から次に浮気しよるから、いつまでたっても女のハートが傾けへんのじゃちゅーたった。
そしたら船場は、それは、ハートを射ることができないと言いたいのではないですかと涙目で言いよったから、そうやで、お前、
そうとちゃうんかと言うたったけど、ほんまにおもろいやっちゃで船場は。