プチ小説「青春の光48」

「は、橋本さん、ユライヤ・ヒープをわれわれの仲間にしようという計画ですが...」
「そのことなら、彼に来るようには言ってあるのだが、ひとつ問題があってね」
「なんですか、それは。まさか違う作品の登場人物が一緒に登場するのはおかしいと言って、ピクウィック氏との
 共演を拒んでいるんではないでしょうね」
「いやいや、そういうことじゃあないんだ」
「じゃあ、なんですか。言ってください。ぼくができることなら、なんでもしますよ」
「そうか、田中君が協力してくれるのなら、うまくいくかもしれないな。実はだな、それはト書きのことなんだよ。
 君も、『ディヴィッド・コパフィールド』を読んだことがあると思うが、ユライヤ・ヒープという人物が面白いのは
 ユライヤが話す内容よりむしろ、主人公が語り部となって話す、ユライヤの表情や仕草それから容姿なのだ。だから、
  ユライヤが登場して、なにかを言っただけでは、物足りないのさ」
「なるほど、われわれのこの小説は対話で進められていて会話文だけの小説なので、誰かがト書きの役割をしないといけない
 わけですね」
「そうなんだ。代わりの方法として、誰かが実況生中継をするというのもあるが、そうすると別に必要でないわれわれの様子も
  中継することになるんだ」
「そうなると、すごくややこしいことになりますね。わかりました、ではヒープさんが来られたら、私は会話に加わらずに、
  ヒープさんの状況説明に専念します」
「よし、じゃあ、『デイヴィッド・コパフィールド』をもう一度読んで、ト書きを研究しておいてくれ。ピクウィック氏も明日なら
  都合がいいと言っていたから、ユライヤ・ヒープがいいと言ったら、明日二人を連れてくることにしよう」

「なんで、しがない私なんかがこんなところに呼ばれるんですかね」
「そう言って、ユライヤは細い目が閉じてしまうほどに顔をしかめ、一方、あの気味の悪い手をあわててあごに当てたのだが、
  それは心の動揺、驚きの現れだった」
「な、なんだお前は」
「田中君、いいぞ。いや、失礼しました。こちらは、私の友人の田中君なのですが、今度劇をするので、その練習に励んでいるのです。
 来週、公演があるので追い込みなんですよ。だから、今日は会話には加わりません」
「なるほど、そうかい。で、こちらの恰幅のよい男性は誰だい」
「そう言って、ユライヤは実に腹黒そうな、また相手の腹を探るような表情を浮かべて、話し手をじろりと一瞥した」
「やっぱり、変だ。こいつ、おれの名前を言ったぞ」
「そりゃー、そうですよ、その劇は『デイヴィッド・コパフィールド』なんですから」
「そうか、そういうことなら、わかった、我慢しよう」
「ありがとうございます。で、こちらは、『ピクウィック・クラブ』という小説に登場するピクウィックさん、あなたと同様に
 ディケンズ先生が生みの親なんです」
「いや、あなたのお噂は聞いておりました。お目にかかれて光栄です。でもあなたは悪役ですから、それにふさわしい役を演じないと
 ここに登場した意味がないんじゃないですか 」
「そこで、私は次のせりふを用意しました。脈絡がないことをお許しください。この世に悪党がいるとしたら、その悪党の名は — ヒープだ」
「ユライヤは、まるで殴られるか刺されるかしたように後退りした。そしてこれ以上はできないほど陰険で意地の悪い表情を浮かべると、
  ゆっくり見回してから一段と低い声であいつは言った」
「ほー、こりゃあ、陰謀ですね。あなた方は、示し合わせてここで落ち合ったんですね」
「なかなかの迫力だぞ。それからもうひとつ、今度はト書きを。この言葉に血の気が失せて真っ白というよりは真っ青になったユライヤは、
  ずたずたに破いてやろうとでもいうのか、突然この手紙に向かって突進してきた。機敏なのか、運がよかったのか、ミコーバ氏は突進
  してくる相手の拳を簿記棒でぴしゃりと捕らえ右手を利かなくさせてしまった。骨が折れたみたいに、手首のところからだらりと下がった。
  その一撃は、あたかも木に振りおろされたかのような音を立てた。」
「畜生め」
「痛みのため、これまでにない身体のくねらせ方を見せて、ユライヤは言った」
「うまいぞ。田中君」
「おい、おまえたちは、おれをからかうためにここに呼んだのかい。もうなにがなんだかわからないよ」
「ユライヤ・ヒープさん、私からお話しましょう。こちらの方達橋本さんと田中君は、じつはわれわれの生みの親であるディケンズ先生を
  世界に知らしめるために骨を折っておられるのですよ」
「それがしがないおれと何の関係があるんだい」
「大いに関係があるんです。彼らのお友達である、船場弘章さんが『こんにちは、ディケンズ先生』という小説を書いたのですが、
 残念ながら、全然売れていないんです。でも、この小説が売れたら、これはもう...」
「ど、どうなるんだ」
「ユライヤは両手をポケットに突っ込んだままテーブルの端に座り不格好な脚と脚とを絡ませ、いったいお次は何が来るんだと
  成り行きを見ていた」
「あなたは有名になって、田園調布だけでなくビバリーヒルズにも家を建てることができます」
「そ、そうか、おれに親孝行をさせてくれるんだな。母さんを幸せにできるんだったら...。それなら、君たちに協力することにしよう」
「そのときぼくは、ぼくらのことをじろじろ見たりはぐらかしたりしていた、あの悪賢い血走った目と偶然視線を合わせたのだった」
「......。まあ、これなら瓢簞から駒というのもあるかもしれないな、田中君」
「そうですね」