プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生254」
小川と秋子とベンジャミンは駿河台下の交差点近くのそば屋を後にすると、JRお茶の水駅に向かった。
「ヒサシブリニ東京見物デモシマスカ、エエトコアリマスカ」
「そうね、ベンジャミンさんはずっと名古屋にお住まいだから...。今日は取って置きのところへ
ご案内するわ。そのかわりいつか私たちが名古屋に行った時には、名所案内でもしてもらいましょうか」
「なごやは、でぇれーーええとこやから、キンしゃい。で、これから、どこいいくん、オマエ」
「そうだなー、そうだあそこにしよう。いいですか、そこは東京都内のクラシック音楽の聖地のひとつとも
言えるところです」
「オウ、ソレハ、山田耕筰や滝廉太郎や中田喜直の生誕地のコトデスカ」
「いいえ、そうではありません。これから行くところは、イギリス人には馴染みのない場所かもしれなせん」
「ナンか、ナゾめいたことを言いよるな。この近くにカザルスホールがアリマスガ...」
「いえいえ、ホールでもありません。勿体ぶるのはやめましょう。名曲喫茶のことなんです」
「メイキョクキッサ???オウ、ソレハナンデスカ」
「渋谷に日本一の名曲喫茶ライオンがあるのです。ここでお気に入りの曲を聴いていただくのも
楽しいかと思うので...」
「アキコは、ドウデスカ」
「ええ、私もそこが大好きなんです」
小川がリクエストした、ナタン・ミルシュタインがヴァイオリンを独奏し、クラウディオ・アバドが
ウィーン・フィルを指揮したメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のレコードの
演奏が終わるとベンジャミンは思わず拍手をした。
「ははは、お客さんが余りいないからよかった。ベンジャミンさん、拍手の必要はありませんよ。ここは
静かに音楽を聴くところです」
「オウ、ソウデシタカ。デモ、アナログレコードの名演を大型スピーカーで聴くのはホールでコンサートを
聴くこととはチガッタ味わいがあるように思います。こういう文化が日本にはあるのですね。マタ日本を
ミナオシマシタ」
「それはよかったです」
「ふふふ、そうだ、今度はベンジャミンさんがリクエストしたらいいわ。ここで聴いてみたい曲って、ある
かしら」
「それじゃあ、アキコがリクエストするので、一曲お願いするとしますカ。ワタシもメンデルスゾーンが聴きたく
なりました。交響曲第3番「スコットランド」はありますか」
三人が名曲喫茶ライオンを出ると午後5時近くになっていた。百軒店商店街を通り抜け道玄坂に出ると、
ベンジャミンは、もう少し渋谷を散策すると言って、小川と秋子に別れを告げた。山手線から中央線に乗り換え
ふたりがシートに座ると、小川は秋子に話しかけた。
「本当にベンジャミンさんは気が置けない、すばらしい人物だね」
「ええ、私、ベンジャミンさんなら、桃香をしっかり導いてくれる気がするんだけど」
「確かにそうだけど、やはり桃香の気持を大切にしないと」
「そうね、私もそう思うわ」