プチ小説「たこちゃんの変化」
チェンジ カムビオ フェレンデルンク というのは変化のことだけれど、ぼくは華麗なる変身ができるようにと
日夜頑張っているのだが、成果が上がっていない。今の職場に就職していろんな仕事をしてきたけど、職種が
事務員ということはずっと変わっていない。事務の仕事を淡々とこなし、休日は趣味に明け暮れる。いつしか、
趣味が生き甲斐になり、将来はそれでご飯が食べられたらいいのにと思った人は、人類史が始まって以来数限りなくいる
ことだろう。ご多分に漏れず、ぼくもそのひとりなんだが、その人たちとの大きな違いは、その人たちは片一方
あるいは両方がうまくいっているが、ぼくは共倒れになっているということなんだ。就職前からのクラシック音楽を
聴いたり、レコードを蒐集するのが一番の趣味というのは変わっていないが、30才の頃からジャズを聴き始め、一時
ジャズ喫茶に入り浸ったり、プレミアム盤をたくさん集めたりした。高校時代から写真を撮るのが趣味で、今から5年
ほど前はライカに21ミリの超広角レンズをつけて日曜日ごとに京都の寺院を巡ったものだった。4年前までは山登りに
明け暮れ、槍・穂高の縦走(槍に登り、南岳、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳を経由し上高地に降りる)は
できなかったが、たくさんの雄大な景色を撮影できたのはよかったと思っている。クラリネットも習い始めて、
もうすぐ丸5年になり、今ではスローテンポの曲なら、人を楽しませるくらい吹けるようになった。5年ほど前から
神田の古本屋に通うようになり、そこで購入した本を読むために、朝早く家を出て、職場の最寄りの駅近くの喫茶店で
50分ほど読書をするようになった。読書をするようになるとアウトプットしたくなり、2011年10月に
『こんにちは、ディケンズ先生』船場弘章著 近代文藝社刊を刊行した。自著が爆発に売れたら、今までの趣味を
グレードアップさせて、本もたくさん出版してと考えてきたが、今のところ、145の公立図書館と82の大学図書館に
受け入れていただいているけれど、いまだに再版の話は出ない。人から一千万円ほど出して、本をもう5、6冊出したら、
そのうちひとつくらいは当たるだろうという人がいるが、原稿の書きだめはしているけど、残念ながら軍資金がないので、
二の足を踏んでいる。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、ぼくと違って、華麗な変身をした
ことがあるんだろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ グーテンターク ヘックショーン
ゲズントハイト」「は、鼻田さん、どうされたんですか。いつもとあいさつが違うようですが」「そうやねんけど、
わし、ドイツ語はボキャブラリーないねん。グーテンタークとゲズントハイトしかしらんねん」
「いつもと違うあいさつをされたのは、何かわけがあるのですか」「そ、それはやな。ちょっと話せんな。トップ・
シークレットやわ」「そんなこと言わないで、教えてくださいよ。もしかしたら、ドイツ人のすきやんができたんですか」
「そうそう、わしがグーテンタークちゅーて右手をあげたら、イッヒリーベディッヒちゅーてぶちゅっとクスしてくれる...
そんな人はおまへーん」「長いボケなので、どうしようかと思いました。さあ早く言ってください」「どうしても
知りたいんか」「もちろん」「実はなあ、それは、船場はんあんたのことを思ってや」「ぼくのことを思って、ですか」
「そうや、最近、発情した船場はんのためにいろいろ教授したっとるのに、成果があがっとらん。船場はんは
もっと本が売れたら、次のステップに登ろうと考えとるんやろけど、いつになることやら。そやから船場はんの
やっとることはマンネリズムの極地みたいなもんやということをそれとなく気づかせて、行動を起こさせようとしたんや。
たまには、変わることも必要やと」「鼻田さんの激励、ほのめかしはありがたいのですが、ぼくは結婚、もちろんその前に
おつき合いが必要なのですが、も華麗なる変身も資金の目処がつかなとアクションは起こすつもりはありません」
「あんた、そんなこと言うて、よう我慢できるなあ。わしやったら、いらいらして突破口を見つけようとするやろけどなぁ」
「鼻田さんには開き直りみたいに聞こえるかもしれませんが、人事ではどうしようもないことは人生にはままある
ということをぼくはよく知っているんです。できるだけのことをして、機が熟するのをじっと待つ。それで求めるものが
得られなかったら、それは運命と思ってあきらめるんです。よく頑張ったなあと自分に言い聞かせて」「わしは船場はんに
ついて行けんけど、あんたの考えは尊重するでぇ。ま、今まで通りよろしゅうにと言うことやが、わしの方は少しは新しい
メニューでも取り入れんとな。マンネリになってしまうわ」そう言って、ABBAのダンシングクイーンのテープを掛けて
踊り出したので、ぼくはとても真似できないと隣で見ていたのだった。