プチ小説「音楽のストリーム4」

梅田は、名曲喫茶ヴィオロンの閉店までいた。久しぶりに長期休暇が取れたので、開店から閉店までずっといて、
リクエストが途絶えたら持参した自分のレコードを掛けてもらおうと思って、紙袋にレコードを10枚ほど
持って来ていた。

半分掛けてもらったから、上出来だな。今日はベートヴェンの交響曲を名指揮者の名演でということで、
第2番はクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団で、第3番はフルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルで、
第5番はフルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルで、第6番はカール・ベーム指揮ウィーン・フィルで、第7番は
クライバー指揮ウィーン・フィルで聴かせてもらった。これだけまとめてベートーヴェンの交響曲を聴いたのは
何年ぶりだろう。ぼくがクラシック音楽を聴き始めたのは高校を卒業してからで、今から30年以上も前のことに
なるが、そもそもの始まりは、この名曲喫茶でいつも閉店時に流れるパッヘルベルのカノンを聴いて、高校生の頃に心を
動かされたからではないだろうか。その時の演奏は、今聴いているジャン・フランソワ・パイアール指揮パイアール室内
管弦楽団ではなくて、レイモン・ルフェーブル・グランドオーケストラのアップテンポのバージョン「涙のカノン」だったが、
今聴いても先が見えなかった高校時代の頃明るい光を投げかけてくれた気がする。ぼくは深夜放送で初めて聴いた曲が
ポール・モーリア・グランドオーケストラの「涙のトッカータ」だったので、ムード・ミュージックには今でも興味がある。
ポール・モーリアはその後も「エーゲ海の真珠」「青いノクターン」「恋はみずいろ」などに心をゆさぶられたが、
曲が3分ほどで終わってしまうのに物足りなさを感じていた。マントヴァーニーの「シャルメーヌ」「トゥルー・ラヴ」、
ベルト・ケンプフェルトの「星空のブルース」「タミー」、パーシー・フェイスの「夏の日の恋」「ムーラン・ルージュの歌」、
フランク・プールセルの「アドロ」「ミスター・ロンリー」「哀しみのソレアード」、そういえば、レイモン・ルフェーブルには
「シバの女王」もあったな。こういったクラシック音楽、映画音楽それからアメリカの懐メロなどを編曲して弦楽合奏が中心になった
演奏するのを聴くことで、クラシック音楽を聴くための準備ができたように思う。そのおかげで弦楽合奏やピアノの曲のよさが
味わえるようになった気がする。ぼくはハードなロックも好きだが、最初から大音量で鳴り響くギターを聴いていたら、
路傍のすみれの花のような、はかない音楽をじっと聴くことができたか疑問だ。もうひとつよかったことは、
ムード・ミュージックがあまりに短時間であっけなく終わってしまうので、もっと長い心に響く演奏を求めたことだった。
そのニーズにぴったり合致したのが、クラシック音楽だった。「シャルメーヌ」や「夏の日の恋」で美しい弦楽合奏を
楽しんだおかげで、ベートーヴェンの田園交響曲やモーツァルトの目映いばかりのオーケストラ曲を楽しめるように
なったんだと思う。今の時代は、ギター中心のバンドの音楽とクラシック音楽が中心のオーケストラの音楽が二極化してしまって
グループでする場合にそのふたつが交流することがなくなってしまったような気がする。レイモン・ルフェーブル・グランド
オーケストラのコンサートを見ると、ドラム、エレキギター、キーボードなどが一緒に演奏していて極彩色の音楽を聴かせてくれる
が、今のように二極化してしまっていると交流することもないだろうしもうひとつの音楽のよさがわからないんじゃないだろうか。
どうか、カムバック・ムード・ミュージックと言いたいところだな。

梅田が珈琲を啜って支払いを済ませて外に出ると、おぼろ月夜だった。梅田は、お月様は30年前と少しも変わらないのに
音楽は変わってしまったものだなと独り言を言った。