プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 思わずもらい泣き編」

わしはちいこい頃、よう家族といっしょに炬燵に入ってテレビでドラマを見たもんや。いつもは賑やかに話をしながら
団欒を楽しむんやが、ある日わしと母親とふたりだけでテレビを見とったら、ドラマの後半に入って母親が話をせんようになり、
ドラマの終わり頃になって、大粒の涙をぼろぼろこぼしよった。わしは、おかーちゃん、どうしたんと訊いたんやが、母親は
何もいいよらんかった。わしはその時は、きっと酒飲みのおとーちゃんの帰りが遅いから泣いてたと思うたんやが、後になって
よう考えたら、ドラマの内容に感動して泣いてたちゅーことがわかったんや。その時にいっしょに泣いてやれなんだということが
心の痛手になったんかようわからんが、人が感動して泣き出すとわしも泣けて来るんや。うら若い乙女のほおに一筋の涙が伝う
ちゅーのはええもんやが、ええ年したおっさんがぽろぽろ泣いてるちゅーのはそらあんたかっこわるいだけや。それから後も、
洋画のラストシーンで何度も泣いたんやが、今でも泣いてしまうのは、「グレン・ミラー物語」のラストシーンで、ミラーの
妻役のジューン・アリスンが「茶色の小瓶」を聞いて大粒の涙を流すとわしも負けんように大粒の涙をこぼすんや。最近は、
「ニュー・シネマ・パラダイス」や「海の上のピアニスト」で大泣きしたんやが、この3つの映画は音楽による相乗効果も
あるんかもしれん。高校1年生まではテレビでようさん映画をしとったんで、ようもらい泣きをしたもんやが、高校1年生の秋頃から
アニメに興味を持ったわしはほとんど映画を見んようになってしもうた。怖い映画がようさん出て来て、思わず目を覆いたくなる
映画が他の映画と一緒くたになって放送されるようになったということもあるんやが。それでいろんなアニメを見る
ようになったが、今でも心に残るアニメというのがいくつかある。そのどれもがもらい泣きした作品なんやが、アニメは映画と違って
テレビで見るもんで、1回25分位の番組が半年から1年続くもんやから、ずっと感動が続くというものはない。ネタ振りをして
盛り上がり、またネタ振りをして盛り上がるというのが続くことが多い。日曜日の午後7時30分から関西テレビでやっとった
「母をたずねて三千里」には何度も泣かされた、印象に残っとるのは、イタリア人が経営するレストラン「かがやくイタリアの星」
ちゅーレストランでマルコを励ますところやトゥクマンにいる母親にもうすぐ合えるとマルコが夜道を涙を流しながら歩くところは
何度見ても目頭があつーなって、涙が止まらんようになるんや。そら、あんた、うそやちゅーんやったら、自分で見てみたらええねん。
船場はいつも天真爛漫やから涙と無縁やと思うが、あいつでも感動して涙を流すちゅーことがあるんやろか。おい、船場ー、おまえ、
わしみたいに感動したことなんかないやろ。おっ...。シクシクシク、シクシクシク、シクシクシクと船場が泣いとったから、
ど、どないしたんや、船場ちゅーたったら、船場は、さっき「巨人の星」を見たんですが、僕の場合、星飛雄馬が泣き出すと、
頬の上を滝のように涙が伝い出すともらい泣きをしてしまうんです。そうか、船場、おまえも感動して泣くちゅーこともあるんやな
ちゅーたったら、船場は、にいさん、安心してください。僕の場合、そんなええもんやのうて、ただの条件反射ですからと言いよった。
わしは、人がせっかく心配しとんのになんやそのこたえはちゅーて頬っぺた抓ったったら、船場は、にいさんがもらい泣きで困ってはる
ようやから、ええこと思いつきましたと言いよった。ほいでわしが、またどうせしょうもないもん作ったんやろと言うたったら、船場は、
にいさん、これはすごいですよちゅーて、孫の手をわしに渡しよったから、わしはこんなもんもうても、しゃーないやろちゅーたった。
ほしたら、船場は、そら道具ちゅーもんは使いようで、何にでも早変わりするんですと言いよった。わしが、ほーか、ほしたら、
どないしたらええねんちゅーたったら、船場は、にいさんが感動的な場面を見て、涙がぽろぽろ出出したら...。出出したらどうするねん。
そら、決まってますやん。これで、脇の下くすぐって愉快な気持ちになったら、そら目前のことはわからんようになりますやろ
といいよったから、わしは、それでは、なにも本質的な解決にはなっとらんちゅーて、脇の下をこそばしたった。