プチ小説「こんにちは、N先生 3」

私は2013年のディケンズ・フェロウシップの秋季総会で発表してからしばらくして、長い間音信が途絶えていた
大学時代にドイツ語を教えていただいたN先生にお会いすることができました。先生も私のことを覚えておられ、
驚いたことに、私が小説を出版したことについてもご存知で、暖かい励ましの言葉を掛けていただいたのでした。
その後もN先生との楽しいやりとりを願って何度か母校を訪ねましたが、お会いすることはできませんでした。
いろいろ考えた末、インターネットで調べて、N先生がK大学で教鞭を取られていることがわかったので、
大学の先生宛に手紙を送ることにしました。

若葉香る季節になり、私の周りでも色とりどりの花が咲き競っていますが、先生はいかがお過ごしでしょうか。
先日は京都駅に向かうバスの中で、久しぶりに先生と文学の話に花を咲かせ、楽しい一時を過ごさせていただきました。
本当にありがとうございました。
今回このように突然手紙を差し上げたのは、相談に乗っていただきたいことができたからです。それは、私の小説の
方向性をお教えいただきたいということなのです。私は文藝サークルに一度も所属したことがなく、言わば、
我流で小説を書いてきました。浪人生の頃に西洋文学に興味を持ち、イギリス文学を中心に読書を続けて来ました。
ある時、大学の頃に購入して、ハードカバーで携帯に不便という理由だけで長い間読まずにいた、ディケンズの
『リトル・ドリット』を読みました。暗澹とした物語が主役の男女の結婚という輝きに満ちた結末で終わるのが
ブラームスやベートーヴェンの交響曲のいくつかを思わせ、この作家の作品をもっと読みたいと思ったのでした。
その後この作家の主要作品を入手することができ、ますますこの作家に傾倒した私はついに、夢の中に文豪が登場し
自分の作品について語るという小説を書き始め、まとまった量になったので出版したのでした。その後も私の
ホームページに掲載している同小説の続編でディケンズの作品だけでなく、他の西洋文学の作品や文学の手法なども、
浅学ではありますが紹介しています。
そこで相談に乗っていただきたいことの話に移りますが、今まで私は大学生の頃に先生が推薦されたいくつかの
小説を燃料にして、あるいは肥やしにして文学に親しんで来た気がします。『トリストラム・シャンディ』『灯台へ』は
すぐに文庫本で読むことができましたが、『パミラ』『ウェルギリウスの死』『ユリシーズ』は、その後興味は
ありましたが手の届かないものとなっていました。最近になって、神田の古書店やインターネットでこれらの
本や18、19世紀の西洋文学の多くの作品を入手することができ、それを読むことでますます西洋文学に興味を
持って来ているのですが、このことをよく考えてみると先生からご教示いただいた小説がとても役立っている
ということになると思います。大学生の頃に先生から推薦していただいた小説が私の西洋文学への傾倒を喚起したように、
今、先生から、これから先にもしかすると小説を書く機会が増えるかもしれない私に新たな刺激となるような小説を
教えていただけるなら、とてもありがたいのですが。
もとより遅読の私のことですから、きっとご推薦いただいた本のすべてを読むことは難しいかとは思いますが、
もしよろしければ、ぜひご教示いただきたいのです。よろしくお願いします。
                        船場弘章 こと ○○○○
1週間後、N先生からの返事が届きました。

お手紙ありがとう。悩める文学青年からの率直な告白を楽しく読ませてもらいました。
私の推薦した文学がその後の君の人生によい影響を与えたのなら、よかったのかなと思いますが、どうだったのでしょうか。
私は今から30年近く前の帰宅途中に君とバスで話したことは正直言ってはっきりと覚えていませんが、その時に紹介した
小説が今も君の心の中で作用していることを考えると、生徒と接する時は慎重に言葉を選んで参考になることを言って
あげないといけないなと思います。私は前にも話しましたが、ギリシアの英雄叙事詩が研究の中心で戯曲や歴史も研究対象で
ギリシア史やクセノポンの研究書などを出版しています。君が大学生の頃に私と話したのがイギリス文学になったのは、
多分、君がイギリス文学に興味を示していたからで、そうでなければきっとギリシア文学に興味をもってもらおうと
イーリアスやオデュッセイヤの話をしていたと思います。
ところで、お尋ねの件ですが、今回は文学書の紹介は控え、どのようなカテゴリーの図書が有益かといことだけお話ししようと
思います、私がこうして定年後もギリシア史の研究を続けていられるのは、きっと他の国の文学や言語に興味を持ち続けている
からで、君もそのことを続けられればよいと思います。要はイギリス文学に限定せずに『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』
のような手に汗握る場面の連続の小説を読まれるのも著作活動によい影響を与えると思いますし、私が紹介した意識の流れの作家を
参考にされるのもよいかと思います。またディケンズの小説を何度も読むか、評論などを読んで彼への理解を深めることも
大切だと思います。
それよりも大切なことは、君が今のスタイルを持ち続けられるかということです。『こんにちは、ディケンズ先生』を
読むと、君の著述手法がよくわかります。会話文、地の文だけでなく、主人公の心のうちを丹念に描くことで、
三人称の小説でありながら、一人称の小説も合わさったような小説になっているのです。ディケンズは『荒涼館』の中で
一人称と三人称のところを使い分け章を変えて一人称でエスタが語るところを、君の小説の場合、主人公に<>の中で独白させ、
一つの章の中で一人称と三人称を同居させるのに成功しているように思います。このような手法を取り入れることが
できたのは、意識の流れの小説をたくさん読み、自分なりに消化して自分の小説の中に組み込むことができたからだと
思います。私が望むのは、この君の特長である会話文、地の文プラスαの手法をこれからも続けてほしいということです。
これだけの回答ではきっと不明の点も多いことでしょう。悩める文学青年からの便りを楽しみに待っていますので、
これからも遠慮なくお尋ねください。ではまた。