プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生265」

小川とベンジャミンは大川と相川に別れを告げると、ベンジャミンが教鞭をとる大学に向かった。
桃香の寄宿舎はそのそばにあった。
「オガワはナゴヤは初めてですか」
「いいえ、大学時代に一番親しかった友人が愛知県安城市の出身で大学を卒業してから何度か
 訪ねたことがあります。明治村、リトルワールド、日間賀島なんかに車で連れて行ってもらった
 ことがあるんですが、ぼくが結婚してからは疎遠になってしまって、今は年賀状を送るくらいに
 なってしまいました」
「ワタシも大学時代に親しくしていたユウジンがいました。オガワと同じようにディケンズと
  クラシック音楽が好きでしたが、今はもうイナイのです」
「どういうことですか」
「ワタシが日本に来てしばらくして事故で亡くなったのです」
「えっ、そうなんですか」
「ユウジンも日本に興味を持っていて、ワタシが日本に慣れたら彼を呼び寄せるつもりでした」
「その友人も音楽をされたのですか」
「ええ、カレはピアニストでした。オサナイ頃からのトモで、ワタシの伴奏をよくしてくれたんです。
  ワタシが勤めるオンダイでピアノの先生の求人があったので、カレにすぐに連絡しました」
「きっと楽しみにしていたんでしょうね」
「ソウです。トッテモ楽しみにシテいたんです。この日本で演奏家としてやって行けるかもしれない
 とオモウト、幸福でした」
「でも、今は教職をされているんですよね」
「オウ、タシカニソウですが、よき伴奏者に恵まれたら、演奏家をシテミタイ気持ちはアリマス」
「どんな曲を演奏されるのですか」
「ワタシはヘソ曲がりナノで、オーケストラとはうまくいきません。室内楽をシタイですネ。ピアノの
  伴奏者もウマが合わないとダメでしょう。それにナニよりワタシを引き立ててくれることがアキラカ
  でないとヤル気はありません」
「なるほど、で、そのような人はその幼い頃からの友人の方以外に...」
「オウ、それはいますが、とてもイイダセマセン。カンベンしてください」
「な、なぜ、赤い顔をされるのですか。あっ、あれは秋子と子供たちだ。おーい、ここに、おとうさんは
 いるよ。ベンジャミンさん、じゃあ、ぼくはここで家族と合流することにします。でも、その前に
 言ってください。ウマが合いそうなピアニストを」
「ソ、ソレだけは、ヤメといたほうが...」
「いいから、いいから、ぼくはなにを言われても平気ですから」
「ソウでっか、ホナ、イイマスよ。ソレはアユミさんです」
「えーーーーーっ、おーい、みんな、すぐに来てくれ、そうしてぼくの頬っぺたを抓って夢から覚まして
 くれ」
「おとうさん、どうしたの」
「桃香、聞いてくれ、ベンジャミンさんが今、なんといったと思う」
「そうね、おとうさんが驚いているところから推測すると、アユミ先生と一緒に演奏したいと言ったんじゃない」
「な、なんだ、知っていたのか」
「ふふふ、そのコンビの可能性は未知数だけれど、ふたりとも円熟の境地だから、私も是非聞いてみたいわ。
 ベンジャミンさんもそうですよね 」
「アキーコの言うトオリじゃが」
「でも、今は敵同士じゃないのかな」
「私は音楽家ではないから、憶測にすぎないんだけど、芸術のためなら、アンビバレンスがあっても一緒に
 演奏することはあるんじゃないかしら」
「そうなのか、そう言う考え方をアユミさん、ぼくにしてくれないかな」
「そうね、そのためにも一所懸命クラリネットの練習をして、「ぼくだけ門外漢」を返上しないとね」
「......」