プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生267」
桃香の宿舎を訪ねた次の日曜日の朝、小川は秋子とともに秋子が勤務する音大へと向かった。
「今日から、いよいよ練習に入るんだね。マウスピース、リガチャー、リードだけでいいって言ってたけど...」
「そうよ、しばらくは、タンギングが正確にできるようにそれから正しいリズムで演奏できるように頑張って。
3ヶ月くらいかしら。そうしてそれができたら、この曲のポイントを私が
指導するわ。その後はアユミさんの
ご主人と相川さんとの合奏に移るんだけど...」
「ど、どうしたんだい」
「この最初の関門が突破できるかにすべてがかかってると思うわ」
「どうして」
「まあ、試しに一度聞いてみて」
秋子は音大の近くの児童公園のベンチに小川を連れて行き、マウスピースにリードとリガチャーを取り付け、
「ケーゲルシュタット・トリオ」の楽譜を開いた。
「3ヶ月間はこれだけで練習してね。こんな感じで」
「上管と下管とベルはつけなくていいの」
「ええ、リズムに合わせて、正しいアーティキュレーションで演奏できるように。そうだわ携帯用の
音楽プレーヤーを聞きながらそれに合わせて演奏してもいいんじゃないかしら。時には歌っても。
こんな感じよ
」
「うーむ、これだとどんなアーティキュレーションをしているかがよくわかるよ。こんなに舌を付けたり
引っ込めたりするんだね。それに正確にメトロノームに合わせるのは大変だな」
「まあ慣れるまでは大変だろうけど、地道にやるしかないわ。初心者と中級者の違いはやっぱり
アーティキュレーションが正確にできるかどうかじゃないかしら。
それからリズムが合わないと一緒に演奏する
人に迷惑を掛けることになるし 」
「相川さんも大川さんも貴重な時間をぼくのために遣ってくれるんだ。それに3人でモーツァルトの憧れの曲を
演奏できるんだから、一所懸命に頑張るさ」
「そうよ、頑張ってね。それからこれはご参考までにということなんだけど」
「 なにかな、アユミさんのことかな」
「ええ、実はアユミさんが大切にしている本があるんだけど、本好きな小川さんの参考になるんじゃないかと思って」
「音楽家の自叙伝とかかな」
「内容は知らないけど、本のタイトルは『真実なる女性 クララ・シューマン』、それから、著者は確か原田光子さんって
言っていたわ。風光書房なら、クラシック関連の図書もたくさんあるから購入できるんじゃないかしら」
「わかった。近く訪ねてみるよ。さあ、着いたけど、ぼくはどうしたらいい」
「私たちが利用するスタジオの横に、少人数で練習するスタジオがあるの。最初の3ヶ月はさっきも言った通り、そこで
アーティキュレーションを練習するの。
2時間一人で練習したあとで、私が少し指導するわ。その後1時間練習して、
小川さんは帰宅して。でも3ヶ月したら、私がずっと横にいてマンツーマンで指導するから。
この時は夕方まで
みっちり練習しましょ。そのあとは相川さんと大川さんと3人で心行くまで練習するといいわ。もちろんたまには
練習しているところを見せてもらうわ」