プチ小説「たこちゃんの合作」

コラボレーション コラボラシオーン ゲマインシャフツアルバイト というのは合作のことだけど、ぼくは小さい時から
人と協力して何かをするというのが苦手だった。器械体操、合唱、発表会で楽器を演奏したり劇をしたりすること、団体でする
スポーツ、みんなで壁新聞を制作することはもちろん率先してするようなことは決してなく、隅の方で早く終わってくれないかなと
思っていたのをよく覚えている。今から思うと小中学校の先生が、リーダーシップを持って何かをやるチャンスを与えてくれたのだと
思うのだが、体力、音楽的素養、学力のいずれもが平均点くらいの児童が率先してできることはなく、やってみたいけど基礎ができて
いないから恥ずかしくてできない、でもいつかはやってみたいという気持を募らせて行くばかりだった。そんな暗い青春時代を送った
ぼくだったが、社会人になって10年過ぎ20年が過ぎ、時間ができると今までやりたかったができなかったことをやりたいという気持が
入道雲のように脳の中に広がって行った。といってもみんなで何かをするというのは今でも苦手なので、一人で細々とすることになる
のだが。今から11年前に始めたのが槍・穂高への登山だった。ここ3年は他の活動のため控えているが、計7回本格的な登山をした。
5月から比良山でトレーニングをしてからでないと(8回は登っておかないと)へばって遭難すると思うので今は控えているが、縦走して
まだ登っていない奥穂高岳、前穂高岳に10年以内に登りたいと思っている。今から5年前に始めたクラリネットは、発表会で
合奏するしレッスンはグループレッスンなのでみんなで一緒にやっているというふうにも思えるが、その倍以上のレッスン前の練習は
一人でやっている。才能のある人は必要ないのかもしれないが、多くの人は一人でする練習に費やす時間の方がみんなで練習する
時間より3、4倍多いのではないだろうか。最近、レッスン以外にも一緒にする人ができてその人には感謝している。でもまだまだ
手習いの段階なので、いつでも一緒にやりますよとありがたい言葉をいただいているが、その人との練習は2、3ヶ月に1回で
留まっている。今から3年前に本格的に始めた小説を書くことは、平成23年10月3日に出版した『こんにちは、ディケンズ先生』
船場弘章著 近代文藝社刊の売れ行きがさっぱりなので、次が出せないでいるが、93の大学図書館と全国174の公立図書館に
受け入れられている。いつか日の目を見る日が来るようにと祈りながら、休日には『こんにちは、ディケンズ先生』の続編や
他のユーモア小説を書いている。こういうことを続けられるのは、あとせいぜい数年だろうから、山登りはしばらくお預けにして、
しばらくはクラリネットと小説を書くことで精一杯頑張りたいと思っている。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、
趣味はスポーツ紙に載っていることと言っていたから、みんなで何かをするということはないのだろうか。そこにいるから訊いてみよう。
「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ロスドスティエネングストスコンプリータメンテオプエストス」「確かにそうですね。
鼻田さんの趣味と私の趣味は全く反対と言えますね」 「そうやでー、わしらの趣味は1日でおしまい、後腐れがのうてええんや。
船場はんの趣味、山登り、楽器演奏、小説執筆は終わりはあってないようなもん、一旦止めると錆び付いてしもうてどうしようも
なくなる。それがええかどうかはそのひとの価値観やろけど、わしはすかっとしてあとに何も残らんのが大好きや」「でも、鼻田さんも
小学校の頃にできなくて今やってみたいことってあるんじゃないですか」「たとえば、どんなん」「そうだ、この前、確か、第九を
歌うねんと言われていたじゃないですか。今年もやるんでしょ」「ああ、あれな、わし、ベートーヴェンの第九は確かにええ曲やと
思うねんけど、「メサイア」「ヴェルディのレクイエム」「バッハのロ短調ミサ曲」なんかは苦手やな」「苦手ということは
今もされているんですか」「当たり前やがな。合唱の楽しさちゅーたら、一度味わったら、やめられまへん」「でも、それは
看板に偽りありということになりませんか」「船場はん、あんた、そういう固いことを言うから、みんなから嫌われるんや。
何事も深く考えずに明るく楽しく生きんと。そうしないと」「そうしないと、どうなるのですか」「一生そのまま変わらんやろな」
「それがなぜいけないんですか。地道にやって、チャンスが来たら匍匐前進するというのがいいと思うのですが...」「そら、
ちゃいまっせ。人間、その時期が来たら、取り憑かれたようにそのことに取り組まないかん。その時に困らんように、今から
やれるだけのことは、やっとかんとな」そう言っていつものように自分のタクシーの周りをうさぎ跳びで回り始めたので、ぼくも
それに続いたのだった。