プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 世界の果てで編」
わしは中学校に入ってからすぐに自分のラジオを買うて、夜昼問わず暇を見つけてはラジオを聞いとった。なんでか
ちゅーたら、娯楽の王様と言われたテレビは当時は一家に一台の時代やって、うちでは一家の主のおとーちゃんが
チャンネル権を行使しとったからや。おとーちゃんはジャイアンツ・ファンであり野球ファンやったんで、野球を
見たり聞いたりしとる限りは勉強せいの一言も言わんかった。わしが中学1年生の時やったが、夏の甲子園で大分の
津久見高校が優勝した時はその春にラジオを購入してたからマイラジオを一日中聞いていたいということもあって、
毎日朝から晩まで高校野球中継をラジオで聞いたもんや。そんなわしも、中学2年になると外国への憧れというのに
目覚めて外国の音楽や外国の放送局がやっている日本語放送を聞いたもんや。カーペンターズにのめりこんで歌詞を
ノートに書き留めとったら、英語が上達してたかもしれんが、好きになったのがポール・モーリアやったんで
語学を勉強して歌詞の内容を知ろうとする必要もなかった。それでも中学時代からそうして世界への憧れを持ったもんやから、
その扉となる、音楽、映画、文学、絵画、写真は爪に火をともすほど節約してお金を注ぎ込んだもんや。今の時代は
インターネットであっと言う間に世界に繋がる時代やから世界の果てちゅーのはなくなったのかもしれんが、今から
30年程前、パソコン通信という言葉が出始めた頃に、ラジオでおもろい話をしとったのを覚えとる。ある人が
探検か仕事か知らんが、アマゾンの奥地に長い間住んで生活しとった。その土地は電波の状態が悪いのか、電気が
来てないからかラジオを聞くこともやテレビを見ることもできんかった。その人は昔からそこに住んでいる人たちとは
おつき合いはしとったが生まれ故郷の情報は一切入って来ず、孤独感を募らせていた。ある晩その男が寝床で横に
なっていると真っ暗な静寂の中から何かが聞こえて来た。男が耳を澄ますとそれはサイモンとガーファンクルの
サウンド・オブ・サイレンスで曲が終わると何も聞こえなくなった。それでもそのたった3分程の音楽を聞いただけで
その男は立ち直った。彼の顔にかつての微笑みが戻り、彼は仕事をやり遂げて故郷へと帰って行った。
この時の曲が三橋美智也さんの炭坑節やミス花子の河内のオッサンの歌なんかやったら、インターナショナルな歌やないから
その人が息を吹き返すきっかけにならんかったかもしれん。日本の民謡やコミックソングでは難しいけれど、アメリカの
ヒットチャートでもランキングされた、上を向いて歩こうなら、草臥れた人の助けになったかもしれん。
船場はクラシックやジャズだけでなくワールドミュージックにも興味を持っとるちゅーとったな。あいつ、どうせ
暇やろから、ここに呼んで、おちょくったろ。おーい、船場、おるかー。はい、にいさん、なんですか。あー、お前、
外国の人が聞いて、活力が湧いて来るような曲、知っとるか。例えば、三橋美智也さんの炭坑節とか、どう思うちゅーたったら、
船場は、そらあの暗いもやもやを跡形もなく吹き飛ばしてくれそうな歌声は世界でも通用しそうですが、炭坑節という民謡では
難しいかもしれませんと言いよった。わしが、あっ、お前、炭坑節を馬鹿にしたなちゅーたら、船場は、いえいえ、ぼくも
好きですが、少なくともアメリカで知られた曲でないと世界に通用しませんと言うたから、ほたら、どんな曲がええねんと
聞いたった。船場は、アル・ジャロウのテイク・ファイブやスペインなんか活力があって、アメリカ人なんかは特に
指笛を鳴らして喜ぶんじゃないですかと言いよった。わしが、お前、アル・ジャロウみたいに、ポコポコ ティクティク
パウンドパウンド トモナガサーン ピルリリーってスキャットをやっても心を動かすやつはおらんやろちゅーたった。
そうしたら船場は、今から実証してみせますと言いよった。船場はわしのうちを出よったが、すぐに拡声器を取り出すと、
ポコポコ ティクティク パウンドパウンド トモナガサーン ピルリリーとやりよった。そしたら近所の子供が一杯
集まってきよった。涙を流して、もう一回やってちょうだいちゅーとるやつがおったから、やっぱり、アル・ジャロウは
世界の果てでも通用するんやろな。でもな、誰が何と言おうとわしはどこの国にも三橋美智也さんの歌声を聴いて
元気を出すやつがおると思うとる。