プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生270」
小川が帰宅すると、秋子と深美が夕飯の支度をしていた。秋子がみそ汁の入った鍋の蓋をあけると
水蒸気が立ち上り、ほのかに味噌の香りが漂った。
「あっ、おとうさん、ちょうどよかった。今から夕ご飯よ」
「えっ、こんな遅くまで待っていたの。それに今の時間に帰宅するって、電話も入れていないのに
よくわかったね」
「それは長い間一緒に生活しているとわかって来るものよ」
「ぼくが今日どんなことをしたか、わかるってこと」
「ええ、だいたいなら」
「.....」
「今日はお仕事だったでしょ...。それから早く仕事が終わったら風光書房に行くと言っていた。多分、風光書房で
お目当ての原田光子さんの著書を購入できて、その後、名曲喫茶ヴィオロンでシューマンのピアノ協奏曲と
ライン交響曲を聴きながら、買った本のページをめくっていたんじゃないかしら」
「うーん、おかあさんの言うとおりだけど、少し怖い気がするなあ」
「いいえ、そんなことないわ。それに生活のリズムに合わせようとすると、午後10時をまわって帰宅する
という翌日に尾を引くような無理はしないものよ。だから午後8時から9時までには帰宅して翌日に備える。
特に明日からケーゲルシュタット・トリオを演奏するための特訓が始まるんだから」
「そうだった。で、ぼくはどうすればいいのかな」
「明日は少し早く昼ご飯を食べて、アンサンブルのメンバーのみんなより少し早く音大に行きましょう。
スタジオに案内するから、そこで2時間程、自分なりにアーティキュレーションの練習をしてみて。
そのあと私が指導するから、問題点を修正してね。それから明日は、マウスピースとリガチャーと
リードだけを持って行ってね」
「わかった。3ヶ月間は一所懸命、中級者のスキルを身につけるようにするよ」
「私も応援するから。明日は一緒に練習しましょ」
「そうか、明日は深美も来るんだね。ありがとう」
「ところで『真実なる女性 クララ・シューマン』って、どんな内容の本なのかしら」
「ざっと目を通しただけだから、大まかなことしか言えないけど...。シューマンは1810年生まれ。終生の
友人だったメンデルスゾーンはひとつ年上、親交があったショパンは同い年だった。当時も今と同じで、音楽家
として生きていくためには、演奏家、作曲家、音楽学校の先生、音楽評論家として成功しなければならなかった。
シューマンは最初ピアニストとしての道を選んだが、指をいためて諦めざるをえなくなった。文才があった
シューマンはライプツィヒ で文筆活動をしていたが、クララの父親から離れて生活をせざるをえなくなった
後は新天地をドレスデンにそのあとデュッセルドルフに求めたが、
新参者が入り込む余地はなかった。
また音楽の先生や指揮者としても、新天地で受け入れられることはなかった。彼が作曲したピアノ曲や
管弦楽曲をクララやメンデルスゾーンが演奏して、シューマンの 塞ぎがちになる気持をもり立てていたが、
43才の頃に重篤な精神疾患となり、46才で生涯を閉じる。そのシューマンの妻となるクララは、音楽教師
フリードリッヒ・ヴィークの娘として生まれ、幼い時からピアノの英才教育を受けた。8才の頃に初めての
演奏会を開き、終生にわたって名演奏家であり続けた。16才の頃にシューマンと結婚を前提とした付き合いを
始めるが、父親から反対されたシューマンは出入りを禁止されてしまう。それから結婚するまでの数年間は
ふたりの間で恋人同士の熱い心のこもった手紙のやり取りが見られる。この手紙のやりとりがこの評伝の中心を
なすもので、音楽家として活躍していることがよくわかり、またふたりの誠実な人柄が偲ばれる。
ロマン派
という言葉は19世紀の芸術を語る時によく口にされるが、音楽ではその出所はシューマン夫妻ではないかと思う。
実際、
彼らの業績は後の音楽家に大きな影響を与えたんだ」
「ふふふ、もうそんなに読んだの」
「いや、これは今まで蓄えた知識だよ。これからこの本を熟読してアユミさんとの接点を探さないといけない...」
「そうね、頑張ってね。そうだ、相川さんから手紙が来てたわ。これ、渡しておくわね」