プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生271」

夕食を終えると小川はテレビを見ながら家族と歓談していたが、午後10時になると書斎に引っ込み
相川からの手紙を読むことにした。

小川弘士様
夏の強い日差しが照りつけ冷たい緑茶が恋しい季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
深美ちゃんは帰国し高校生活を、桃香ちゃんは名古屋での生活を新鮮な気持で楽しんでおられる
ことと思います。私も帰国し名古屋で職務に当たっておりますが、イギリスにいたころと違って、
特に平日の夜は時間を持て余す状態となっています。以前から、私はピアノをしており、小川さん
にも何度か演奏を聴いていただいておりますが、これからはこの名古屋で平日の夜、室内楽の演奏を
楽しんでみようと思っています。うまい具合に、ベンジャミンさんもおられることですし、彼の
友人のヴァイオリニストやチェリストを紹介してもらえるかもしれません。ベートーヴェンを
一通り演奏したら、ロマン派の音楽をやってみたいのですが、特にブラームスのヴァイオリン・ソナタ
第1番「雨の歌」やシューベルトのアルペジオーネ・ソナタはぜひともやってみたいと思っています。
桃香ちゃんが大学生になられたら、お相手をお願いするかもしれませんが、今のところは目立たぬように
応援することにします。1年後には、小川さん、大川さんと3人でケーゲルシュタット・トリオを
アユミさんの前で演奏するのですから、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの練習をするのも
決して無駄にはならないでしょう。半年後には3人で練習することになっていますが、その日が
待ち遠しいです。大川さんも張り切ってヴィオラを練習されていて、一緒に練習しようかと思いますが、
名曲がブラームスのヴィオラ・ソナタくらいしかなく、これは元はと言えば、クラリネット・ソナタ
なのですから、小川さんと共演する日までの楽しみに取っておいた方がいいと思っています。

                           相川 隆司

<相川さんはぼくのしてほしいことを自発的にしてくださるのだから、感謝しないといけないな。もし
 相川さんがいなかったら、深美のロンドンでの活躍も望めなかっただろう。きっと桃香のためにも
 これからいろいろしてくださることだろう。では、同封の小説を読むとするか>

「石山は10分ほど先に出発した俊子の母親を捕らえることができるか不安だったが、リアカーを
 引いて5分も走ると、道草をしている俊子の母親に出くわした。母親はコンビニに入って、立ち読み
 をして外の様子を伺っていた。母親はコンビニから出て来ると石山に言った。「あんたが、いつまで
 待っても来ーへんから、コンビニに入ったんよ。ここからは、お互い手抜きなしに行こうかいの」
 「ええ、望むところです。ぼくは負けませんよ」「よーし、わしも負けへんよー」と言いながら、
 俊子の母親が前後に足を広げながら飛び上がると、レースは再開された。しばらくデッドヒートが
 繰り返されたが、20分程すると俊子の母親はへばって来た。「あんたさんが、こんなあほなことに
 目ぇ向むいて 頑張るとは思わなんだわ。ちょっと、あんたの車に乗っけてくれんかの」そう言って
 俊子の母親は石山が いいとも言わないうちに、リヤカーに乗り込んだ。そうして残り1キロに
 なると俊子の母親は矢庭に立ち上がると「ああ、そうやった。用事があったんや」と言って、石山に
 リヤカーから降ろすように言った。「ど、どんな用事なんですか」と石山が尋ねると、「あんたには、
 関係ないわ」と言って、また自宅へと走り出した。ようやく俊子の母親の計略だったことに気が付いた
 石山は怒り心頭に発して、ゆでだこのような顔になって俊子の母親の後を追いかけた」