プチ小説「音楽のストリーム5」
梅田は、自宅に帰ると昨日届いた荷物の包装を解いた。そこにはポータブルタイプのSPレコードプレーヤーが
入っていた。梅田は、長らくSPレコードの再生装置が故障していていつかは修理しようと思っていたが、
修理費が5千円以上かかり、故障した装置を渡して直った装置を受け取る手間を考えると修理業者に
連絡するのが億劫になっていた。最近になって修理費に1万円ほど上乗せすれば、SPレコードも再生できる
スピーカー付きのレコードプレーヤーが購入できることを知り、早速通販で購入することにしたのだった。
ぼくがSPレコードを聴き始めたのはいつ頃からだったかしら。そうだ、2002年頃に神戸の中古レコード店の
一室でSPレコードを聴く月例会があり、その最後の会に参加させてもらったのが始まりだった。会員の何人かが
持ち寄ったSPレコードを掛けてみんなが耳を傾けたが、その音の生々しさに驚いたものだった。それまで
日本のレコード会社が復刻したものしか聞いていなかったぼくは、どしゃぶりの雨の音の向こうから線の細い
微かな楽器の音や歌声が聞こえて来るものと思っていた。ところがそこで耳にした音はLPレコードの音と
ほとんど変わらず、ノイズもほとんど気にならなかった。ただ、78回転であるので、片面には5分程度しか
入らず、ワインガルトナーのベルリオーズ幻想交響曲は6枚組なので何度もレコードを入れ替え引っくり返して
掛けていたが、途中で順番を間違えたのを記憶している。それでもその後掛けたヴァイオリンの独奏のレコードが
すばらしく、いつか自分の蓄音機でSPレコードを再生したいと思った。その後もその会員の方達の集まりで一緒に
蓄音機でSPレコードを聴いていたが、蓄音機という再生装置の取り扱いに困ることが明らかだったので、購入するには
至らなかった。針交換を頻繁にしなければならないし、第一、故障した時に代わりの部品がなければそれで終わりだし
修理業者も見つからないだろうと思ったからだった。そんなSPレコードに興味があるが再生装置の購入に
踏み切れないでいたぼくは、それからしばらくして大阪南港にSPレコード店があることを知り出掛けて行った。
店主の方は70才位のがっしりした体格の方だったが、SPレコードについて有意義な話を聞かせてくれた。
店主の方は親切にも店頭に置かれた大型蓄音機でクライスラーが演奏するブラームスのワルツを掛けてくださったが、
そのあと、SPレコードは蓄音機でなくても電蓄で充分に楽しめるという話をしてくださった。電蓄の購入を
決めたぼくはその店で、そのクライスラーのレコードとガリ=クルチの埴生の宿(映画「火垂るの墓」で使われ
以前から欲しかった)を購入し、帰宅途中、日本橋の電気店で電蓄を購入して帰ったのだった。再生装置を手に入れた
ぼくは、少しずつSPレコードを購入し、モントゥのベルリオーズ幻想交響曲やラフマニノフ自作自演の
ピアノ協奏曲第3番やクーレンカンプとショルティが演奏するブラームスのヴァオイリン・ソナタ第1番などを
購入したが、やはり電蓄で聴くのにふさわしいのは重厚壮大な交響曲、管弦楽曲、協奏曲より、弦楽器の小曲や
歌曲だと悟り、クライスラーやガリ=クルチのSP盤を集めるようになった。どちらも日本のレコード会社が
復刻盤を出しており、それはそれで充分楽しめるものだ。だが、LPレコードでノイズの中から聞こえる
ヴァイオリン演奏やソプラノ独唱に耳を傾けるよりも、3分程で終わるSPレコードのラベルを1枚1枚見ながら
ターンテーブルに乗せ、時に早く回転するラベルの活字を追いながらSPレコードを聴くのは、それよりはるかに楽しく
曲を聴く喜びが何十倍も増すというのがあると思うのだが、これは愛好家にしかわからない喜びなのかもしれない。
SP盤のもう一つの楽しみはいにしえの名演奏家の演奏を良い音で聴けることだが、最初の頃に聴いたSP盤で今も
心に残っている、ディヌ・リバッティのショパンのワルツ全曲やシュワルツコップとホッターを独唱者として迎えた、
カラヤン指揮ウィーン・フィルのブラームスのドイツ・レクイエムはいつか入手して自宅の再生装置で
じっくり味わってみたいものだ。
梅田はそれから4時間程、SPレコードを楽しんだが、購入した電蓄の音質もよかったので、再び東京神田や
大阪梅田のSPレコード店に出掛けてみようかなと思った。