プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 コミックソングを友に編」
わしの一番古い記憶は、親戚の家の近くで父親に肩車されて聞いた一節太郎さんの浪曲子守唄や。それの影響か
どうかはようわからんが、わしはつかみのところで、つまり最初のところで、ぎょっとするような歌を聞くと興味津々
その歌に聞き込んでしまうことになる。もちろんわしは男やから春歌は好きやが、帰って来たヨッパライのような
技巧を駆使した曲も好きやし笑いとペーソスといった感じの笑福亭仁鶴さんが歌っていた。おばちゃんのブルース、
花の定期便なんかも大好きや。こういう歌を全部、コミックソングというカテゴリーで括ってしまうのはどうかと
思うけど、楽しく時にぷっと吹き出してしまうような歌を一括りにしようとしたら、この言葉を使わなしゃーない。
異論があるかもしれんけど、堪忍してや。ところで小学校の低学年で帰って来たヨッパライをテレビの歌番組で聞いた
わしは中学生になってすぐにマイラジオを購入した。これでテレビでは聞けないフォークソングなどを初めて聞くことが
可能になったんやが、最初に耳にしたのは高石ともやさんの受験生ブルースやった。この曲は2つのバージョンがあり、
ライヴの方も好きやが、わしは断然、付録もついてるよーというぷっと笑える声が入っているスタジオ録音の方が好きや。
高石ともやさんはわしが高校生の頃にきたやまおさむさん(自切俳人さん)とヒューマンズーというグループを結成して
ゴールデン・アルバムという楽しいレコードを作っとる。この中に入っとる、マイ・ソング、涙の北海盆唄、出家とその弟子
なんかは今でも、レコードを取り出してよう聴く。当時のコミックソングのエッセンスを詰め込んだこのアルバムを聴くと
勉強をちっともせんと深夜放送を聞くのに明け暮れた高校時代が懐かしく思い出される。おかげさんで、わしは大学に
入るのが人様よりずっと遅うなってしもうたが、そのおかげで大学時代Hくんというつボイノリオさんのファンの話を
よう聞いた。Hくんはわしの友人の友人と言う感じで、わしの友人と話すのをよう聞いたんやが、当時、つボイノリオさんは
KBS京都で深夜放送をやっとって、彼の持ち歌、金太の大冒険、怪傑黒頭巾、極付け!お万の方なんかのレコードを掛けたり、
御三家を初めとするリスナーの楽しいはがきを紹介されていたようやったが、遅れを取り戻そうともがいとったわしには、
つボイさんの深夜放送を聞いとる余裕はなかった。わしがつボイさんのコミックソングを有り難く拝聴するようになったのは、
それから15年程してからやった。仕事がうまく行かず、何かの道筋が開けないかとある日、滋賀県北部の伊吹山に登った
時のことやった。今でこそわしは槍・穂高もトレーニングすれば登れるくらいの体力を持っとるが、当時は仕事が忙しい
こともあって中年太りがひどくて少し急な坂を上ると大汗をかいて息も絶え絶えになる始末やった。そんなわしが、午前8時すぎに
麓の三之宮神社から登り始めて5合目に着いたのは午前9時少し前やった。何気なく持って来とった携帯ラジオのスイッチを
入れて、チューニングをしているとつボイノリオさんの声が聞こえてきよった。しばらく聞いとると、つボイノリオの聞けば
聞くほど(CBC)という番組なのがわかった。今でこそ、かなり洗練された番組となって、きわどい爆笑を引き起こす発言は控えめに
なったが、当時はリスナーのラジオネームも爆笑の連続で番組の内容はエッチな発言に溢れ、つボイさん自身も昼にやっとる
深夜放送と言っとったくらいやから、その内容は計り知れることと思う。わしは午前10時前になっても山頂から20分くらいの
ジグザグの坂を喘ぎながら登っとったが、その時、突然、金太の大冒険が始まったのだった。わしはそれまでタイトルしか
知らんかったが、その内容を始めて聞いて、とても愉快な気分になり、辺りに人がいなかったことをいいことに、
ははははっはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははと
思い切り涙を流しながら、笑ったもんやった。山頂でおにぎりを食べて、膝ががくがくやったが、駆け足で下山し午後2時頃には
近江長岡に着いた。コミックソングのおかげか、つボイさんの有り難い放送のおかげか、その頃にはもやもやも晴れとった。
それ以来、おもろいコミックソングには出会っとらんが、思いがけない効能がある、この有り難い音楽を量産する
才能がある人物が現れんかといつも願っとる。そやけど今の時代は深夜放送できわどい歌を聞いて、忍び笑いをする若者は
あまりおらんようやから、需要もないやろし、ちょっと無理かもしれんな。