プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生274」
小川は先週と同様に一坪くらいのレッスン室でタンギングの練習をしようとレッスン室のドアを開けたが、
すぐ後ろにいた深美も一緒に入って来た。
「ああ、そうだった。今日は、深美が協力してくれるんだったね」
「ええ、協力するわ」
「そうか。で、どんなふうに」
「そうね。ここに楽譜があるんだけど、4小節ずつ、マウスピースにリードとリガチャーだけを付けて吹いてみて。
リズムとアーティキュレーションが合格になったら、次に進む」
「なるほど、それをチェックしてくれるわけだ」
「ええ、でもそれだけじゃあ、つまらないと思うから、ご褒美を」
「な、なにかご褒美がもらえるのかな」
「そうね。ご褒美に、ちょうどここにアップライトピアノがあるから、これでおとうさんのリクエストに応える
ことにするわ」
「そうか。ヤル気が出て来たぞ。楽しみだな」
「ふふふ、そう言うと思った。じゃあ、4小節が4回で16小節の合格をもらったら、希望の曲を弾くことにするわ。
おとうさん、先にリクエスト曲を聞いておくわ」
「じゃあ、ブラームスのインテルメッツォ オーパス117の1がいいな」
「やっぱり、おとうさんの好きな曲はゆったりしたテンポの曲なのね。この曲は、よく弾いてるから、暗譜で弾けるわ。
楽譜が必要な時は、借りて来るから
」
「それじゃー、おとうさんは、深美の生演奏を楽しみにして頑張るよ」
「よかった。おかあさんの作戦がうまくいったようだわ」
「えー、なんか言ったかい」
「いいえ、別に。さあ、準備ができたら、始めて」
秋子はアンサンブルの仲間との練習をしていたが、2時間ほどして休憩を取り小川の練習を見に来た。
「どう、おふたりさん。うまく行ってる」
「ああ、深美のご褒美を励みに頑張っているよ。こんなに楽しく練習がやれたのは始めてだよ。
先週は孤独に、ぴーぴー鳴らしていただけなのに、今日は何度も合間にぼくの好きな曲が生演奏で聴けるんだから。
しかも演奏するのは自分の娘で、しかもその演奏のすばらしさと言ったら...」
「よかったわ。じゃあ、単調な練習もなんとか乗り越えられそうね」
「でも、おとうさんは、ピアノの小品のいい曲をたくさん知っているわね。メンデルスゾーンの無言歌集から
「甘い思い出」「五月のそよ風」「春の歌」なんかは私も好きだからよく弾くけど、ショパンのマズルカなんかは
知らない曲があるから、ちょっと手強いわ」
「ふふふ、深美のおかげでおとうさんの上達も早いかもね。じゃあ、ふたりで昼食を食べて来て。帰って来たら、
午後6時まで練習してから帰って。私は、8時まで仲間と練習してから帰るわ」
「晩ご飯、カレーライスでいいなら、やっとくけど」
「そうね。お願いしようかしら」