プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生16」
小川と秋子はお茶の水駅の聖橋口の改札を出ると神田古書街にある風光書房へ
と向かった。店内に入ると、リパッティのショパンのワルツ集が流れていた。
秋子はしばらく店内を見ていたが、店主の後にある棚を見ると微笑んで店主に
話し掛けた。
「シュティフター全集がありますが、興味をお持ちですか。私は「晩夏」を
読んだことがあるのですが…」
「そうですか。小川さんが最初にこの店に来た時も、同じことを言っていた
なぁ。小川さんは、第1巻を持っているので、他を売ってくれと言われるの
だけれど、4巻そろって値うちがあるものだから…」
「今日は、ディケンズ先生の未だ読んだことがない本がないか調べに来たん
です。少々古くて高くてもよいので、何かありませんか」
「それなら、これはどうでしょう。大正14年国民文庫刊行会発行の「デエ
ヴィッド・カッパフィルド」全4巻。平田禿木の訳なのでいいものだと思い
ますよ」
「うーん。全部の漢字にルビが振ってある。それに本の後の3分の2は原文が
掲載されている。でもわかりやすい言葉で書かれているので、何とか読まれ
そうです。ハードカバーで箱に入っているし、値段もシュティフター全集の
半分なので、予算の範囲内です。これにします」
小川はそう言って、支払いを済ますと秋子と共に店を出た。 その後、秋子と
共に阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンに行ったが、秋子は店内に置かれてある
ライブのチラシを見て、私もやってみたいなと言った。
その晩も、ディケンズ先生は小川の夢の中に現れた。
「小川君、高価な本を買ってくれてありがとう。お礼に何かないかと考えた
のだが、こういうのはどうだろう」
そう言って、ディケンズ先生が差し出したのは、虫篭でその中にはこおろぎが
入っていた。こおろぎは「チャープ、チャープ」と鳴いていた。
「「爐邊のこおろぎ」のヂョンはこおろぎの鳴き声を聞いて心を動かされ、
怒りを和らげられた。君も何かつらいことがあったら、こおろぎの美しい鳴き
声を思い出すといいよ」
「……」