プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生279」

久しぶりに土曜日にたっぷり時間が取れることになり、小川は朝早くにいつもの喫茶店に来ていた。
<今日はまず、昨日届いた相川さんからの手紙を読んで、返事を書くことにしよう。それが終わったら、
 歌劇「大いなる遺産」の登場人物とそのプロフィールを考えるとしよう。 夕方までに終わったら、
 風光書房に久しぶりに行ってみよう。さて、相川さん、どんなことを書いているのかな>

小川弘士様
今年は秋の訪れが早く、朝晩は寒いくらいの日が続いていますが、おかわりないですか。
わたしも名古屋で勤務して半年経ち、すっかり名古屋弁になじんで、うちの奥さんに、どえりゃーとか、
そら知っとるだがやとか、こんばん栄に行こまいかなどと言って、楽しくやっています。
桃香ちゃんも先生がとりあえずひとりになったということで、ベンジャミンさんの指導を受けて
めきめき実力を付けています。この前、少し私の伴奏で、ヴァイオリンを演奏してもらったのですが、
それはすばらしかったですよ。将来が楽しみですね。
ところで小川さん、大川さんから、オペラの台本を作成してほしいと依頼を受けられたのですね。
しかも、「大いなる遺産」の台本を。ディケンズのいくつかの作品がミュージカルで取り上げられていますが、
まだ、「大いなる遺産」はなかったような気がします。私も大いに期待していますので、いいものに
仕上げてください。私が見させていただいている、(最近は、先を読むのが楽しみになりました)
小川さんの小説は、今までくらいのペースで送っていただければうれしいのですが、新しい取り組みが
始まったことですし、多少遅れてもかまいません。でもあまり送られて来ない場合には、また手紙を出します。
クラリネットの進捗具合はどうですか。この秋に一度小川さんが練習しているところへ行こうかと
思っています。その時に大川さんと3人での練習をいつ、どこでするか決めたいと思います。

                          相川 隆司

<それにしても、ピアノ演奏ができる人はいろいろな楽器と共演できるのだから、羨ましいなあ。
 桃香が喜んでいる表情が思い浮かぶ。ぼくも大川さんのヴィオラと一緒に3人でケーゲルシュタット・トリオを
 早く演奏したいな。でも、その前に基礎的なことをきっちり教わっておこう。それでは、小説の
 続きを読ましていただこう>

「石山は怒り心頭の顔をしていたが、冷静だった。このままでは、はるか前方を走る母親を俊子の家に着くまでに
 とらえることは不可能かと思われた。そこで石山は近くにあった公衆電話から、俊子に電話を入れた。
 「やあ、元気にしているかい。ところで今、家にいるのかな。そう、それはよかった。実は今、
 君のおかあさんと かけっこをしているんだ。これに負けるたら、君を諦めろと言われている。何とか沿道で
 おかあさんを呼び止めて、コースを反らせてほしいいんだ」「わかったわ、なんとかやってみるわ」
 俊子は納屋から自転車を出すと、自転車に乗って駅の方向へ走り出した。3分も走ると母親に出くわした。
 「俊子。お前、何しとるん。もう会社にいかんと...」「おかあさん、大事なことを忘れていたの。
 実はうちの会社でキャンペーンをしていて、今日はおかあさんと会社までジョギングで出社することに
 なってるの」「ほう」「で、今から一緒に走って会社まで...」「俊子、あんたの考えとることはようわかる。
 きっと、石山から入れ知恵されたんじゃろ。おお、あんたが引き止めたんで、もうそこまで来とる。
 そんなことに引っかからへんよーっ」「ああ、おかあさん」俊子の母は娘の手を振り切ると飛び上がって
 足を前後に開き、また走り出した」