プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 エクリプス編」

わしがちいこい頃、中秋の名月の夜は近くですすきを刈って来て牛乳瓶にさして飾り、母親が小麦粉と砂糖を
こねて作った団子を供えてお月見をしたもんや。母親が、「あそこに、うさぎさん、おるやろ」ちゅーとわしは、
「ううん、わからん」ちゅーてな、「ほら、あそこにみみがあるやろ」ちゅーとわしは、「そうかなー。やっぱり
わからん」ちゅーたんや。今考えたら、ちいこい頃から融通のきかん子やった。ほんでもその頃から天体について
少し関心を持つようになって、近所の銭湯に行った帰りにようお月さんを仰ぎ見たもんや。わしが中学校1年の時に
ジャコビニ流星群が見られるちゅーんで、えらい騒ぎになったんや。奈良の山奥まで遠征しようという話も出とったが、
結局、自宅から5分程坂道を登ったところにあるお稲荷さんの横で深夜の1時過ぎまで流星の出現を待ったんやった。
残念なことにな、曇天で流星のかけらも見られんかった。この時に天体現象は天気次第という教訓を得たんやが、もし
かしてあの雲の向こうっ側に回り込めたら、流星やたまに飛んで来る火球が見放題になるんちゃうかと思ったもんや。
そういうことがあったから、2001年の獅子座流星群の折には、雲がかかっとらん、新宮市まで特急に乗って
駆けつけたもんやった。ほやけんどこの時は流星群がはずれで、1分間に1個見れるかどうかの流星を2時間くらい
見ただけやった。わしは三大天体ショーは、流星群と彗星と月食やと思うとる。流星群は当たり外れがあって、天候に
左右されるから、日頃の行いがええ人にしか提供されへんような気がする。わしみたいに後輩を大事にして時には
飲みに連れて行くというようなことをまったくせんと、古書やレコードの蒐集に明け暮れとるような人間には神さんは
提供してくれへんようや。彗星はしばらくの間天体にあって天文ファンを楽しませてくれよるが、ハレー彗星のような
巨大な彗星が出現することはほとんどあらへん。10〜20年に一度、ウエスト彗星(1975年出現)やヘール・ボップ
彗星(1997年出現)のような一等星くらいの彗星が現れる程度に留まる。2011年に『こんにちは、ディケンズ先生』
を出しよった、船場弘章も天体に関心を持っとるちゅーとったから、少し話をさせたろ。おーい、船場、おるかー。
はいはい、にいさん、天文のことなら、任してください。お前、偉そうなこと言うけど、2年程しか天体観測はせんかった
んとちゃうんか。ええ、仕事がそれどころではのうなってやめてしまいましたが、その頃は週末天気がよかったら、
午後10時頃から準備を始めて、午前1時から3時過ぎまで天体望遠鏡で星を観測したもんでした。ほたら、ヘール・ボップ
彗星なんかも見たんとちゃうか。いえいえ、ぼくはヘール・ボップ彗星を天体望遠鏡で見たくて、2年ローンで望遠鏡を購入
したのでしたが、発注生産で家に来たのが頼んで3ヶ月してからでした。その頃には彗星はうんとちいこくなっていました。
ほたら、何のために天体望遠鏡を買うたんかわからんな。いいえ、おかげさんで、土星や木製を望遠鏡で見ることが
できましたし、月はたくさん写真も撮りました。皆既月食の写真もあります。心残りなのは、火星が見られなかったことです。
もう少し、天体が暗ければ、アンドロメダ星雲やM13の球状星団もきれいだったでしょうが、北摂の空では限界があるな
と思いました。暗い空を求めて鳥取の佐治天文台へ行き、天体望遠鏡を借りて、一晩中星を見ていましたが、星の数が
多すぎて戸惑うばかりでした。そうそうそれからしばらくして八ヶ岳に登りましたが、赤岳鉱泉という山小屋の際で見た
夜空の星の数は驚く程でした。ほうか。船場は2012年5月21日の金環日食も見たんとちゃうんかちゅーたったら、
船場は、ええ、そうですよ。 太陽観察用のサングラスを購入して、職場近くの安威川の堤防で見ました。ところでにいさん、
この前(2014年 10月8日)の皆既月食は見ましたか。私は同じ安威川の堤防でしたが、阪急総持寺駅近くの上流まで
行きました。 にいさんはどうされましかと言いよった。ほんでわしは、近くの和菓子屋日乃出屋さんで月見団子を買うてから
見よ思うて列に並んだんやけど、 えらいぎょうさん並んどってな、買い終わってお月さんを仰いだら月食は終わっとって、
ダークグレーがかった赤銅色の月が見えただけやった。ほんでな、月の輝きが戻って来るのを見てから家に入ったんや。
まあ、来年の4月4日にも皆既月食はあるから、その時は食の初めからゆっくり見させてもらうわちゅーたったんや。