プチ小説「青春の光58」

「は、橋本さん、歌劇「大いなる遺産」の登場人物のことなんですが...」
「やあ、田中君、君のアイデアを待っていたんだ。さあ、早速、聞こうじゃないか」
「そうですか。じゃあ、登場人物は...」
「何か気乗りしないみたいだな。別の考えがあるのかな」
「ええ、実はそうなんです」
「言ってみたまえ」
「昨日、船場さんから、宝塚歌劇「大いなる遺産」のCDをお借りして聞きました。
 橋本さんも聞かれたと思いますが」
「ああ、聞かせてもらったよ」
「ところで話は変わりますが、『クリスマス・キャロル』は例外として、ディケンズの小説の
  登場人物はとても多くて、ちょい役の人でも大事な役割を果たすことが多いんです。
  『大いなる遺産』で言うなら、ウェミック、ビディ、悪役のオーリック、ベントリー
  なんかは登場の機会は余りありませんが、物語を面白くするために重要な役割を果たしている
  と思います。それからジョーとピップが最後に打ち解ける場面は、ディケンズの小説の
  バックボーンのように思うのです。貧しくとも清く、善良であれという。俗物となったピップが
 改心し、もとの清純な心を取り戻すというのは忘れてはならない大切なところなんです。
 その大切な役割をジョーが果たしているのです 」
「そうなのか」
「宝塚歌劇「大いなる遺産」は感動的にハッピーエンドで終わる、素晴らしい出来ですが、
 ジョーがほとんど登場しないというのは、ぼくたちディケンズ・ファンには少し物足りない
 ものになっています。この小説が、近代文学の金字塔と言われるのは、今述べた、ピップと
 ジョーの心の交流、ピップとエステラの恋愛、ピップと脱獄囚エイベル・マグウィッチとの
 複雑な関係、ピップとミス・ハヴィシャムとの...とにかくいろんな人間が関係を持って
 語り合うことで物語を盛り上げるという重層構造があるからなのです。主人公ピップと
  ヒロインエステラの会話も重要ですが、ジョーとピップの会話も同じくらい大切なのです」
「それでは、どうしたらいいのかな」
「宝塚歌劇「大いなる遺産」でも、原作と異なるところがいくつかあります。文庫本2冊の
 小説を2時間足らずのオペラに置き換えるのは、大変な作業だったと思います。それでも
 原作の主な筋をほとんど変えることなく、しかも感動の頂点で終幕するのですから、 すごい
 と思います。歌劇への翻案を初めてする、船場さんには難しいだろうと思います」
「でも、やると言ったんだから、やらなきゃ」
「この前、橋本さんから、ぼくたちで船場さんのために登場人物やあらすじや挿入歌を考えようと
 言われましたが、最初にしなければならないのは、あらすじ、ディケンズの小説の核心部分を
 壊すことなく、時間に収めるという作業が大事じゃないのかと思うんです」
「というと、まずあらすじを考えるわけだな」
「そうです、短い時間で必要なことを盛り込まないと行けないので、筋を変えたりすることも
 必要かもしれませんが、ディケンズが言いたかったことを入れ忘れるのは避けなければなりません。
  誰を登場させるかは、あらすじを考えてから決めればいいと思います。時間を節約しないと
  いけないので、語り手を置いてもいいかなと思います 」
「じゃあ、それを私が引き受けるとしよう」
「それもいいかもしれませんが、全身に金粉を塗って出ては駄目ですよ」
「......」