プチ小説「こんにちは、N先生6」
私は年末にディケンズの『骨董屋』を読み終え、プチ朗読用台本「ネルとおじいさん」をディケンズ・フェロウシップの新着情報に掲載していただいたのでしたが、さて次に何を読もうかといつもの喫茶店で腕を組んで考えていたところ、N先生はやって来られました。N先生は前と同じようにテーブルをはさんだ向かいの席に腰を掛けられ、にこにこしながら話しかけられました。
「おめでとう、船場弘章君」
私は先生にそう言われても、一向に心当たりがないので当惑顔で黙っていました。
「ははは、何も遠慮することはないじゃないか。1月23日から新しいホームページサービス会社のサーバーに君のホームページがアップロード(ドメイン名:my-classicsite.jp)されたんだろ。君が昨年11月に前のサービス会社から2015年2月まででサービスが終了するので、よろしくお願いしますとのDMを読んだ時の君の顔が目に浮かぶようだよ」
私はN先生にホームページサービスの会社のこともダイレクトメールのことも話したこともなかったので、驚いて思わず、な、なんでですのんと大阪弁で尋ねてしまいました。
「そりゃー、君、僕らくらいの年齢になると神経や探求心が研ぎ澄まされるだけでなく、第六感も先鋭化するんだよ。だから、君が何を思っているか当てるくらいおちゃのこさいさいだよ」
「そうですか、僕も先生のようでありたいと思いますが、ところで先生、それじゃあ、ぼくがいま何を考えているか当ててみてください」
「簡単だよ。次に何を読もうか迷っているということだろう。テーブルの上に日経新聞だけしか置いていないことからも、推測できるよ。読んでいる本があれば、当然、鞄から取り出してテーブルに置いてあるはずだから」
「そのとおりです。では、先生は何を読めばよいと思われますか」
「前に読んだプルーストの『失われた時を求めて』第1篇『スワン家のほうへ』の続き第2篇『花咲く女たちのかげに1』を読んでもいいが、僕はディケンズの作品を読んでほしいな。早いとこ、ディケンズの14の長編小説からプチ朗読用台本を作り上げるべきだよ」
「先生はどれがいいと思いますか」
「正直言って、まだプチ朗読用台本になっていない『マーティン・チャズルウィット』『ドンビー父子』『ハード・タイムズ』『われらが共通の友』というのは、知名度が低いし、ディケンズの主張したかったことがつかみにくい小説だ。娯楽性なら、『われらが共通の友』に少しあるが、辛辣な表現がそこここに見られ、そちらの方が心に残ると言っていい。影の主人公であるレジナルド・ウィルファー(R・W)を中心に置いた台本にするのも面白いかもしれない。同様に『ドンビー父子』もフローレンスを中心にしてなら、できるかもしれない。だが残り2つは...」
「どうしました」
「一度は読んでみたが、全然、面白くなかった」
「でも、学術的には何か面白いところがあるでしょうね」
「そうかもしれないが、私の専門は古代ギリシアの文学や歴史なんだ。イギリス文学はひとりのファンとして接しているんだよ。そうだ、あえて言うなら、『マーティン・チャズルウィット』の主人公の若マーティンがアメリカに行くまでは、普通の人物だったのでそれを描けばいいかもしれない。アメリカ帰りの若マーティンは独善が目立って、道端で出会ったら目をそむけたくなるようなそんな人間だが...。ごめん、ごめん。熱くなりすぎてしまった」
「そうですか、いろいろアドヴァイスありがとうございます」
「とにかく人が活動的になれる時期は限られている。君はうまいぐあいにそういう時期にいるんだ。その時に有意義なことをしておくのも、いいんじゃないかな」
そう言って、先生は朝日できらきら輝いている喫茶店のドアを開けられ、光の中に溶け込んだのでした。