プチ小説「たこちゃんの予想」
エクスペクテーション エクスペクタシオーン エルヴァルトゥング というのは予想のことだけど、ぼくは今までの人生を振り返ると希望通りに行った、予想通りにうまく行ったということがほとんどない。いつも70点がいいところだ。仕事、恋愛、財産なんかは平均点以下と言える。そんなぼくが人生を投げ出さずに済んだのは、何人かの友人の力に負うところが大きいが、彼らも四六時中ぼくの側で相談に乗ってくれていたわけではなく、ぼくの気をまぎらしたり、ストレスを発散させてくれた趣味が友人より大きなウエイトを占めていたのかもしれない。音楽を聴いたり、本を読んだり、険しい山に登ったり、歴史的建造物や可憐な花の写真を撮ったり、小説を書いたりすることで、欲望が満たされなかったことで発生する焦燥感をも追いやることができたように思う。それにこれらの趣味を通じて年賀状のやり取りを始めた人たちもたくさんいる、友人と呼ぶにはあまりに立派な人たちだけれど、いつまでも親交を続けたい人たちなんだ。3年半前に究極の趣味とも言える本の出版を行ったが、売れ行きは今のところさっぱりだ。それでも100以上の大学図書館、200近くの公立図書館に受け入れられ、自分としてはよくがんばったなあと思っている。『こんにちは、ディケンズ先生』という文豪ディケンズが主人公の夢の中に出てくるという設定の小説だったので、以前から興味があったディケンズ・フェロウシップに本を寄贈したところ秋季総会に来ませんかとのメールが届いたのだった。それからは憧れの英文科の先生方と話すこともでき、2013年の秋季総会には、「ディケンズとともに」という演題でミニ講演もさせてもらった。東京の名曲喫茶で収集したクラシックレコードで50回以上レコード・コンサートを開催したり、ディケンズの長編小説や世界の名作のめぼしいところを手に入れ通読したり、槍・穂高に7回登ったり、ライカでたくさんのきれいな写真を撮ったり、『こんにちは、ディケンズ先生』を出版して趣味については自分ではある程度満足しているが、どれも人をあっと言わせるような実績になっていないのは、少しむなしい気もする。駅前で客待ちをしている、スキンヘッドのタクシー運転手は人をあっと言わせるようなことがあるんだろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ラシテュアシオーンアカンビアード」「それってどういうことですか」「そら、船場はんが、『こんにちは、ディケンズ先生2』の出版を決断したから、いろんなチャンスが広がっていくということや」「ど、どうしてそれを知っているんですか」「そら、あんたの目を見てたら、わかるんや。鉄腕アトムみたいに目ぇが懐中電灯みたいにぴかっと光っとるでー」「そうですか」「でも、1巻目出してしばらくして、たくさんの大学に入れてもろた1年前くらいに2巻目を考えてもよかったんとちゃうん」「ぼくも早く出したくてうずうずしていたんですが、160万円以上かかる出版の資金を調達する目途が立たなくて。詳しいことは言いませんが、それの目鼻がついたということです」「そうか、そういうことやったんかいな。それで、『2』のほうはどんなところがウリなんや」「それは企業秘密です」「そんな固いこと言わんとちょびっとでもええから教えてーな」「じゃあ、少しだけ。1巻の登場人物たちの少し成長した姿が描かれますが、94話から登場する相川隆浩という人物が主人公以上の活躍をします」「そうかいな、まるでこのプチ小説のわしみたいやんか。わしも主役のあんたを食っとるやろ」「そういえば、そうですね。その自称アマチュア小説研究家の相川が研究成果を小川に聞いてもらうんですが、最後に自分の小説も披露するんです。それが連載小説となっていて...。まあ、あとは読んでいただいてのお楽しみということになります」「よしっ、ほたら、いつものようにうさぎとびとリヤカーごっこをやるでー」そう言って、鼻田さんが素早くぼくの足をとったので、しばらくリヤカー役を務めたのだった。
追記
この小説を書き上げたのが、2015年4月16日の朝の6時ごろ、そのあと電車で出勤しましたが、日経新聞の朝刊に英文学者の荒井良雄先生が亡くなられたとの記事がありました。荒井先生は上記のレコードコンサートに来てくださったことがきっかけで何度か話す機会がありました。私の著作を真っ先に購入してくださったのも荒井先生でしたし、レコードコンサートの会場名曲喫茶ヴィオロンで私が書いたプチ朗読用台本「ミコーバの爆発」を朗読してくださったのも荒井先生でした(荒井先生はヴィオロンでしばしば朗読会を開催されました)。著作が売れたら、東京に出て荒井先生にもっとたくさん私の書いたものを朗読していただこうと思っていましたが、それもかなわぬ夢となってしまいました。それでも天国であの笑顔で私のことを見てくださっていると思いますので、これからも荒井先生が好きなディケンズのためにいろいろやっていきたいと思います。荒井先生、ほんとうにありがとうございました。