プチ小説「青春の光61」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「た、田中君、実は...。いや、やめておこう」
「そんなー、橋本さんと僕との仲じゃないですか。隠しごとはなしにしましょう」
「そうだ、君の言うとおりだよ。でも...」
「だいたい橋本さんの言いたいことはわかりますよ」
「そうか、それじゃあ、躊躇わずに言わしてもらおう。『こんにちは、ディケンズ先生2』の宣伝を引き続きわれわれがしていいのか、それが、いいことなのかということなんだ」
「何を弱気なことを言っているんです。船場さんの本がたくさんの図書館に入ったのは橋本さんのおかげですし...」
「いや、そんなことはない。船場君の地道な努力が実を結んだだけだよ。私も自分なりに船場君の本が売れるようにと頑張ってきたが、これほどまでに売り上げが伸びないとなると責任を感じてしまうんだ」
「なるほど、ではどうすれば、気を取り直してもらえるんですか」
「そら、本人の意思というのが大事だろう。船場君がいいというのなら、喜んでやらしてもらうよ」
「そう言われると思ったんで、船場さんに来てもらったんですよ。どうぞ、こちらに来てください」
「やあ、橋本さん、いつもお世話になっています」
「船場さん、引越しの方は無事終わったんですか」
「ええ、前と同じように毎日過ごしてますよ。家を購入するときにローンを組んでくれた都銀が出版のローンも引き受けてくれたので、とんとん拍子に話が進んで、それで出版することになったんです」
「それにしても4年間のブランクは大きいんじゃないですか」
「いえいえ、ぼくはもともと職業作家ではありません。趣味が高じて小説を出版したのですから、大きな望みは本来持たないのが当たり前でしょう。ただ、今、あまり重視されていない西洋文学がもう少し人気が出てくれたらと思うんです」
「わしから少しいいですか」
「ええ、もちろん」
「大きな望みは持っていないというと小さな望みはあるのかな」
「なかなか鋭いですね。そうです、細く長く続いてくれたらという望みがたくさんありますね。まず、この出版を機会にたくさんの人と知り合いになることができました。これは人生の宝物です。大学時代や職場で何人かの人と親しくなりましたが、短期間にこんなにたくさんの人と知り合いになれたことはありません。『こんにちは、ディケンズ先生2』でこれらの方々とさらに親しくなれれば言うことはありません」
「その『こんにちは、ディケンズ先生2』はどんな小説ですか」
「続編になりますが、西洋文学の楽しさをいろいろ紹介したつもりです。ここでたくさんのことを紹介してしまうと楽しみがなくなりますから、あとは少しだけ別の話をしてぼくの話は終わりにします」
「どんな話ですか」
「まあ、僕の人生観と言うか、価値観というか」
「どうぞ話してください」
「まずぼくからお二人に質問なのですが、人間の心を動かすものがいくつかありますが、その最たるものを2つあげてください」
「そりゃー、お金と異性じゃあ、ないのかな」
「いや、違うと思いますね。文学と芸術じゃないかな」
「田中君の答えが近いですね。ぼくは言葉と音楽だと思うんです。その中でも多くの人に受け入れられ親しまれてきたのが、クラシック音楽と小説だと思うんです。その2つが今危機に瀕している。いずれも新しい音楽、新しい小説に居場所を追われ、今までの楽しみ方を奪われようとしている。昔はスピーカと対峙して音楽をじっくり聞いたものでしたが変わりつつある。また小説も紙媒体でなくなるかもしれない」
「それを船場君が引き止めるというのかな」
「いいえ、無理でしょう。『こんにちは、ディケンズ先生2』で多くの方にディケンズとクラシック音楽に興味を持っていただければ、それを少し遅らせることは可能かもしれません」
「まあ、だいたい船場君が言いたいことはわかったよ。でも、大真面目でそんなことを話すから、今迄みたいなやり方でいいかと思うが...」
「安心してください。今まで通りで結構です。これからもお二人で思う存分やってください」
「よーし、わかった。田中君、お互い頑張ろう」
「そうですね、そうして今度こそ結果を出しましょう」