プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 春を告げるカッコウ編」
わしは、移り変わる四季があって、その折々の自然や素朴な行事が楽しめる日本という国が好きや。最近、外国人の観光客が嬉々としてやって来ては楽しんで帰って行くんやが、やっぱりそんな懐かしいどこにでもありそうな風景を求めてやってくる外国人もようさんおるんとちゃうやろか。春はやっぱり桜やな。造幣局や京都の観光地まで行かんでも、近くの川沿いにようけソメイヨシノが植えられとる。蕾が開いたばかりの赤ちゃん桜を見るのも、満開になってからお花見に行って桜の散るのを見ながら桜の絨毯を踏みしめて歩くのも心をわくわくさせるし、そらええもんやで。夏はやっぱり蝉取りやな。わしがちいこい頃は、今みたいにクマゼミが幅を利かしとらんかった。ニイニイゼミがほとんどで、たまにアブラゼミを見つけては胸をはずませとった。クマゼミなんかはほとんどおらんかったんやで。地球温暖化で生態系の変化があったのかもしれんが、わしらセミちゅーたら、ニイニイゼミやったんで、虫かごの中の数匹のニイニイゼミちゅーのをまた見てみたい気がする。秋はやっぱり虫の声やろ。外国人は虫の声ちゅーたら、単なる雑音、ノイズとしか感じとらんちゅーのをきいたことがあるんやが、鳴く虫の王様マツムシの声を聞かんでも、スズムシやコオロギの鳴き声を聞くだけで、深まりゆく秋を感じて、センチメートル、ちゃうがな、センチメンタルな気分になれるんや。虫の鳴き声聞いてハンカチをぐっしょり濡らして、こう言うんや、ああ、今年の夏も、ええことでけんかったなあと。冬はやっぱり雪やろ。大阪に住んどると15年から20年に一度10センチくらい積もるだけで、数年に一回足元のアイスバーン状の雪に気いつけながら出勤するくらいやから、大阪人は雪を見たらただうきうきするだけで、無責任なところがある。もっとようけ、1メートルくらい降ってかまくらが作れたらええのにと思うもんやが、わしが物心がついてから、大阪でかまくらがつくられたちゅーのは聞いたことがない。まあ、そんなおもろい日本の国やから、いっぺん訪ねてみてみいと外国人に心から言いたいんやが、船場のやつは、この秋に出版するからちゅーて、観光地にも行かんで、家におった言うとったな。数年前までは槍や穂高に行ってたから身体は引き締まっとったけど、今は比良山に行くのも億劫になったちゅーとったな。こら、船場、お前そんなことでえーと思うとんのか。へえ、にいさん、ぼくもこれじゃーイケない。とても槍や穂高にはイケないと思うとります。ほう、少しは反省いとるんやな。で、出版の方はどないなっとるや。へえ、そちらは順調に行っとります。3月になんとか出版費用の目途がつき、『こんにちは、ディケンズ先生』の続編の原稿を出版社に送りました。続編ちゅうと、『こんにちは、ディケンズ先生 クラリネット編』とかいうタイトルかいな。いえいえ、にいさん、確かに今回はクラリネットが随所に出てきますが、タイトルは『こんにちは、ディケンズ先生2』というタイトルなんです。なんや、2が付くだけかいな。愛想のないやっちゃな。まあ、ええわ。ほんでその本はいつ出るんや。9月28日に出版されますが、いくつかのブックサービスで予約を受付ています。で、勝算はあるんかいな。まあ、前の本より10倍は面白いと自負しています。ただ、「言葉の力を信じなさい」とか「春の花のように輝いている君を生涯愛し続けます」といったような心に残る場面はないかもしれません。でも夫婦愛だとか大人の友達付き合いなども書いてあるので、笑えるだけでなく存分に楽しんでいただけると思っています。ぼくの好きなイギリスの作曲家のディーリアスのセレナードをぼくの分身である主人公の友人が歌うところがあるのですが、ディーリアスの「春を告げるカッコウ」という曲を聴きながら、吉報を待っていたいというのが今の心境ですね。ほう、そうか。ほしたら、わしも船場の分身やから、大人しく、冬の時代ばっかりで楽しい思いを全然せんかった船場君の我が世の春を告げるカッコウが鳴くのを待っとるわ。