プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生297」

小川は深美と柳月堂に2時間ほどいて帰途についたが、自宅に着いたのは午後9時を過ぎていた。玄関のチャイムを鳴らすと、秋子が扉を開けた。
「ご苦労様。深美、元気にしていた」
「そりゃー、これから楽しい学生生活を謳歌するんだから、張り切っていたよ」
「よかった。で、晩ご飯は食べたの」
「いいや、まだだよ」
「じゃあ、準備するわね。そうそう、相川さんから手紙が来ていたわ」
「ああ、これだね、秋子さんが食事の準備をする間に読もうか」

小川弘士様
梅の頃も過ぎ、今は桃の頃というのでしょうか。でも、家の近くの桃の木の花は散ってしまったので、桜が咲くのが待ち遠しいです。
深美ちゃんが無事、希望の大学に入られたとのこと、これからどのように学生生活、音楽活動をされるか楽しみにされていることと思います。わたしも微力ではありますが、深美ちゃんの音楽活動や勉学でお役に立てればと思っています。何かありましたら、お気軽にお申しつけください。
ところで先日、大川さんからわれわれ3人の音楽活動についてどうするかということについてご質問いただきました。小川さんは、1年に1度くらいはとお考えのようですが、小川さんだけ東京、大川さんとわたしが名古屋の現状では小川さんに大きな負担になるでしょうから、2年ほどしてぼつぼつ始めるということにして、小川さんは秋子さんから指導を受けながら、ひとりでクラリネットの練習を続けてください。そうして3、4年後に演奏会を開くことにしましょう。
桃香ちゃんも落ち着いてレッスンが受けられるようになってからは難しい曲も積極的に取り組まれるようになられ、サラサーテのツィゴイネルワイゼンに挑戦したいと言われていました。わたしは初演の際には是非わたしにピアノ伴奏をさせてくださいと桃香ちゃんにお願いしました。
手紙に同封されていた小説を読ませていただきました。これからどうなるか楽しみです。次の小説が届くのが待ち遠しいです。その調子で少しずつ無理のないように小説を書かれればよいと思います。
早春とはいえ、まだまだ朝晩は寒い日が続いています。お身体を大切になさってください。
                                  相川 隆司
<いつも通りに小説が付いているぞ。楽しみだな。どれどれ>

『石山が前方を見ると、俊子と母親が話しているのが見えた。石山は俊子が母親を引き留めている間に追いつき抜き去ろうとしたが、あと50メートルというところで母親が俊子を振り切って走り出した。石山は残りの距離が短く50メートルの距離を追いつくのは難しいと考えた。そこで石山は一計を案じ、母親の大好きな「骨まで愛して」を歌うことにした。骨まで〜〜のところまで石山が歌うと母親は足を止めて、歌に聞き入った。
「おう、なんちゅうええ歌声なんじゃ。ちょっと一休みして鑑賞してもええやろ」
石山は「骨まで愛して」を歌いながら走り、母親にあと10メートルのところまで迫ったが、短い曲なので追い抜くことはできなかった。
「し、しまった。もうワンコーラスあれば、追いつけたのに。い、いや、この奥の手を使おう」
そう言うとすぐにもうワンコーラスをスキャットで歌い始めた。
しゃばだば、しゃばだば、しゃばあだあばーだーーーー。
「そんなもんで、ごまかしてもあかんのよ。お先に」
そう言って、息も絶え絶えの石山の前で、飛び上がって前後に足を開くととウサイン・ボルトのように大股に走り出した』