プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生299」

小川は、大川から歌劇「大いなる遺産」の台本についてどのような計画があるのか聞かせてほしいと言われていた。それで小川は名古屋から来てくれる大川と待ち合わせることにしたが、JR御茶ノ水駅の聖橋口の改札をその場所に決めた。小川は約束の15分前に到着したが、既に大川は来ていた。しかし大川は改札口の近くで小川に背中を向けて、ヒンズースクワットを一所懸命していたので、またズボンを破ってしまっては申し訳ないと思い、大川がスクワットをやめるのを待った。20分待ってもしゃがむのをやめなかったので、小川はそっと声を掛けた。
「大川さん、遅くなってすみません」
「ややや、小川さん、今来られたのですか」
「そうですが、ま、まさか、またズボンを破られたのではないでしょうね」
「それは大丈夫です」
「で、どこに行きますか」
「ぼくは最近、ベンジャミンさんと名古屋市内のあちこちに食べに行っているのですが、ほんとにみそかつはおいしいですね。名古屋人が行列の後について1時間でも平気で我慢するという気持ちがわかります。それはさておき、ベンジャミンさんは以前小川さんに案内されて、神田の古書街にあるお蕎麦屋さんに連れて行ってもらい、そこのお蕎麦が非常に美味しかったと言われていました。まずそこに行きたいのですが、如何でしょう」
「そうですね。今なら、お昼を少し過ぎていますし、混雑していないでしょう」

小川は前と同じ席に座り、店員を呼んだ。
「大川さんは何にしますか。やはり豪華な天ざるですか。ぼくは関西人ですから、やはりきつねうどんですね。ぼくはきつねうどんで。大川さんは」
「じゃあ、小川さんの期待に添うようにします。天ざるをください」
「早速ですが、今日の本題について話したいのですが」
「望むところです。まずどんな内容にするおつもりなのか、お聞かせください」
「大川さんはもうCDの宝塚歌劇「大いなる遺産」をお聴きになられましたか」
「ええ、小川さんが貸してくださったので、2度ばかり」
「で、どうでした」
「私は原作を一度読みましたが、ストーリーのポイントが抑えられていて、しかも最初から最後まで描かれています。オリジナルの曲もたくさん入っているし素晴らしいと思いました」
「そうです、おっしゃる通りで、この歌劇「大いなる遺産」はとてもよくできています。これに何かをつける必要もなさそうです」
「では、他の作品で歌劇を作られるのですか」
「いえいえ、ぼくは是非「大いなる遺産」の歌劇を作りたいのですが、ピップの成長だけでなく別のことも描きたいのです」
「ほう、どんなふうにですか」
「エステラとの恋愛もそのひとつですが、ジョーとの友情を描いてみたいのです。エステラに好かれたいという一心でピップは一念発起して紳士になれるよう頑張るのですが、その前の幼少期や夢破れて後の心の拠り所と言うのはやはりジョーになると思うのです。この二人の人物を際立たせて歌劇を作りたいと思うのです」
「なかなか面白いですが、それだとストーリーを追うのは難しいかもしれませんね」
「ええ、そこが悩みなんです。原作の一部を取り上げた歌劇となるかもしれません。そうだ、ここに歌詞をひとつ用意しています。急ぎませんので、曲をつけていただけますか」
「喜んで、どれどれ、
  『ぼくの懐かしいふるさと、明るくおおらかなひと いつだってぼくを見守ってくれた
  幼い日に姉に叱られ途方に暮れたときに 手を差し伸べてくれたのも君だった
  豊かな生活に憧れたときにも 心の豊かさは別のところにあると正してくれた
  君は口数は少ないけれど、やさしい言葉は心に響く。

  でも、君はすばらしい奥さんを見つけたんだね。ぼくもいつかきっと幸せを
  つかんで、帰ってくるから。
  苦しい時には君を思い浮かべるよ。君は掛けがえのない大切なひとだから、
  永遠にぼくのそばにいてほしい。永遠に』
 うーん、いい感じですね」
「気に入ってもらえてよかったです」
小川がそう言って、前方にある飾り物のテレビに目をやると、画面にディケンズ先生が現れて、にっこり微笑んだ。