プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生305」
小川は家に帰ると、秋子から手紙を手渡された。相川からの手紙だったので、夕食後すぐに開封した。
小川弘士様
4月ももう半ばとなり、日本ではもう桜の便りもかなり北上していることでしょう。小川さんの娘さん桃香さんも高校生になられ、ますます音楽に勉学に励んでおられます。長女の深美さんの時にはピアノという楽器を選ばれたためか、ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ・ソナタを習得されるためにかなりの時間をレッスンや暗譜の時間に充てられていました。でも、桃香さんの場合はむしろ人との交流を大切にされ、わたしとも共演したいと言われています。将来に偉大なヴァイオリニストになられる、小川さんの娘様にそのような申し入れをされ、非常に光栄に思っています。前にも言いましたが、桃香さんと私が聴衆の前で演奏する前に名曲喫茶ヴィオロンでまずライヴをしようと申し合わせていますので、今度、帰国する際には、名曲喫茶ヴィオロンでライヴができるよう、手配をよろしくお願いします。もちろんコンサートは賑やかな方がよろしいと思いますので、小川さんや秋子さんも何曲か演奏していただければ、幸いです。桃香さんの話に戻りますが、桃香さんはヴァイオリンという楽器を選択したこともあり、他の弦楽器や管楽器やピアノとの共演を楽しまれています。確かにピアノはピアノ・ソナタをはじめたくさんの独奏曲がありますが、ヴァイオリンと言えば、有名なところはバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータくらいでしょうか。つい最近も音楽学校の友人とフランクのヴァイオリン・ソナタを演奏されていました。私もいつかは桃香さんとブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番を演奏できればと願っています。
今年の年末には桃香さんと一緒に日本に帰国しようと思っています。その節にはいろいろお世話になると思いますが、桃香さんとみっちり練習をしておこうと思いますので、みなさま楽しみにしていてください。
最近、小川さんからお手紙がいただけないので、久しぶりにペンを取りました。私も小説を添付しますので、小川さんも出来は気にされずにどんどんどしどし私に小説をお送りください。ディケンズ先生と約束された2012年4月まで1年を切りました。余裕をもって小説を完成されるためには、今から2ヶ月に1度のペースで、5〜6回はこのやりとりが必要だと思います。お忙しいとは思いますが、どうか2ヶ月に一度くらいはお手紙と原稿をお送りください。お待ちしています。
相川隆司
<そう言えば、ここのところ秋子さんのアンサンブルのことばかり考えていたからなあ。大川さんから依頼された歌劇の台本と相川さんが添削してくれる自作小説のことがおろそかになっていた。来年はディケンズ生誕200年に当たる年でもあるし、まずはおふたりのご要望に応えるようにしよう。明日、久しぶりにあの喫茶店に行くことにしよう。では小説の続きを読むとするか>
『石山は有効性の乏しい術策とベタな方法で俊子の母親に追いつこうとしたが、あと10メートルの差を残したままゴールまであと100メートルのところまで来た。石山が追いつけないと確信した母親は、ゴールの手前で走りながら勝利のポーズを繰り返した。石山がそれを悔しそうな顔で見ると、母親は振り返り意地悪そうな顔をしてブイサインをしてみせた。あと50メートルになった時に石山は再び悔しそうな顔をして見せたが、同じリアクションをすることに飽きてきた母親は今度は近くの人に頼んで胴上げをしてもらうことにした。うまい具合に3人の大学生がそこを通りかかったので、あんたら頼むから私をここで胴上げしてと頼んだ。母親としては2メートルの差で、先にゴールできると考えていたが、運悪くひとりの学生が辞退したので、石山に代わりを頼まざるを得なくなった。すまんのお、あんたも一緒に私を胴上げしてくれやと言ったので仕方なく、石山も2人の大学生と一緒に母親を胴上げした。2人の大学生があと500円もらえるなら、ビールかけもできますよと言われたので、母親はそれに賛成してコースを外れてどこかに行ってしまった。石山は途方にくれたが、一応俊子の家の玄関に先に着くことができた。側でそれを見ていた俊子は石山をご苦労様と言って迎えたが、晴れやかな顔ではなかった。不審に思った石山は、なんで喜んでくれないのと俊子に尋ねた。俊子は家から出てきた父親を見ながら、次は第2関門の父親があなたと対決すると言っているわと残念そうに話した』