プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生20」

小川は誰かが自分の肩を揺すって「起きて」と言っている のに気付き、両腕で作った輪の中に
埋めていた顔を上げた。そこには秋子がいたが、秋子は「荒涼館」を手に取ると少し残念そうに
話し出した。
「小川さんが「荒涼館」を読むようにと勧めるものだから、購入して読んだけど、こんな携帯に
 便利なのがあるんだったら、貸してもらったらよかったわ。私は本文が3段式の重量が1キロ程
 ある(少しオーバーかな)黒いハードカバーの本を読んだのよ。小川さんは読み終えたの。そう、
 どうだった。私は、とても面白かった。ヒロインのエスタが登場するところを一人称で書いて
 いるので心の動きがよくわかるし...。エスタが病気になり瀕死の状態で後半(下巻)のところに
 ( 私の場合1冊だったので)入って行ったけど、回復してエスタ自身もいろんな悩みをかかえ
 ている人の気持ちが理解できるようになり、思いやりを持って人と接することができるように
 なって上巻と別人になったようだった。それに...」
「どうしたの」
「エスタは最初ジャーンディスさんのラブレターの返事で「荒涼館」の主婦になりますって答える
 けれど、結局、ジャーンディスさんはエスタとの幸せな生活をあきらめて、エスタのことを思って
 若いウッドコートさんと結びつけてしまう。......。その利他的な考え方が小川さんにも少しあるん
 じゃないかな。私をもっと幸せにしてくれる人は他にもいるよなんて...」
「それ、どういうこと」
「いいえ、なんでもないの、気にしないで」

その夜、夢の中に出て来たディケンズ先生は明るかった。
「小川君、秋子さんはほんとにいい娘だね。私の本を読んで、よい面だけを評価してくれる。
 君も少しは目上の人に対して思いやりの気持ちを持たないと...」
「利他的な...ですか」
「いや、そうじゃない。思いやりはあったほうがいいが、利他的な考えはないほうがいい。
 だってその人の人生が他人の利益を考えながら決められるなんて、間違っていると思うな。
 小川君も自分の不運なところをあきらめてしまわないで、私のように前向きに生きてほしいな」
ディケンズ先生がそう言うと右手にあった炬燵のスイッチのようなものを押した。すぐに
背中が後光が差したように輝き始めた。先生がその場を立ち去ろうとして背中を向けると
電飾の看板が激しく輝いていた。そこには、「私は、文豪」の文字が浮き上がっていた。