プチ小説「たこちゃんの面目」

オナー オノール エーレ というのは面目のことだけど、ぼくの人生を振り返ってみるに、一度として面目躍如といったことは経験したことがない。一時的にこれは将来的に大きな一歩になるぞと思っていても、一瞬のことで後が続かず、やり遂げたということがないんだ。高校時代に全然勉強せず、苦労して大学に入ったぼくは、大学時代には知識の習得に励み、社会人になってからは、一花咲かせようといろいろ自分なりにやってきた。30代の頃は語学にのめり込み、リンガフォンの英語とスペイン語のコースを履修したけど実用までは至らなかった。厄年を過ぎてからホームページを始めて今も続けているが、Google検索でmy‐classicsite.jp、プチ小説のページ、クラリネット日誌、エルマリート21の世界、古典入門のページをはじめたくさんのキーワードが引っかかるとはいえ、多くの閲覧者を獲得するに至っていない。。40代半ばから7年間、槍・穂高登山をしてたくさん山の写真をライカで撮ったが、奥穂高岳と前穂高岳は行くことができず、このまま縦走できずに終わってしまうのかと思っている。50才になってからはクラリネットを始めた。最初、5人でグループ・レッスンを始めたが、今は3人になっている。発表会でいい演奏ができるようになり、いろんな曲を自分なりに吹けるようになったが、このままではグループレッスンも発表会での演奏もできなくなってしまうのではないかと思っている。50才を過ぎて、本を出版しディケンズ・フェロウシップや身内では一定の評価は得ているが、売れ行きはさっぱりだし、脚光を浴びたことは一度としてない。そんな状況であるから、これからもぼくの人生の状況が好転するということもなく、心の底からの歓喜、満足感を味わうこともなく、平凡なサラリーマンのまま人生を終えてしまうんだろうなと思っている。仕事の合間にホームページに掲載する小説を書いたり、レッスンやスタジオでの練習でクラリネットの演奏を楽しんでいるが、あと○年で定年だし、近々、天から暖かい日差しが差し込み、天国への階(きざはし)が現れ、神がかり的なことが起きないことには、本格的にライターとして文章を書くことにはならないだろうと思っている。駅前で客待ちをしている、スキンヘッドのタクシー運転手は以前、合唱団に所属して第九の練習をしていたが、今はどうしているんだろう。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノス・ディアス エルディネロノセプレセンタエンミカミーノ」「まあ、それはよくわかります。鼻田さんがお金に縁がないということは」「そやからなわしは毎年楽しみにしてた、第九の合唱に参加するのやめたんや」「それはもったいないですね。声量もあり音程も安定しているから、合唱団の人たちも残念に思っているでしょう」「その通りやで、でもな、先立つものがないとどないしようもないわ。あんたも『こんにちは、ディケンズ先生』の3巻、4巻を出しとうても、資金がないとどないもならんやろ」「それはそうですが、でも趣味の一つくらいは、何とかできるんじゃないですか」「他にも、仕事が忙しうなったということや娘が大学に行くちゅうんで節約せなあかんようになったということもあるんやで」「それなら、競馬、競輪、競艇のどれかをやめられたら、第九の合唱に参加する資金はできるのではないですか」「そら、ちゃうで。ギャンブルちゅーのは言わば、わしにとってはなくてはならんもんで、暗い夜道を照らし出すスキンヘッドのようなもんや」「なるほど、それは説得力がありますね。まあ、それほど言われるんなら、無理強いはしませんが、生活も楽になるし、いいと思うんだけどな」「それはそうと船場はんは、本が売れん今、何が生きがいなんや」「今はありませんね。本が売れて初めて、生きがいが始動するという感じですね。いろんな交友関係も本が売れないと始められません。『本が売れたで』で始まるメールをあちこちに送れるようになることを夢に見ています。ですが、今はきちんと仕事をして、地道に小説を書き続け、時にはクラリネットの練習をするといったところでしょうか」「で、勝算はあるんかいな」「まあ、期待はしていませんが、人生においては人はいろんなことに挑戦して、それなりの評価や実績が得られればそれでいいんじゃないでしょうか。本の売れ行きや社会的評価を見るとダメですが、ディケンズ・フェロウシップで評価してもらっていますし、読んだ人はみな面白いと言ってくれますし。ぼくとしてはそれで十分じゃないかと思っています」「なるほどな、船場はんは負け惜しみを言うのも筋が通っとるわ」「......」