プチ小説「音楽のストリーム6」
梅田は夜中に目が覚めたので、ラジオをつけた。半年前に転居してしばらくしてから、梅田は深夜に目が覚めると必ずラジオをつけるようになった。しばしば不思議な音がどこからともなく聞こえることがあり超常現象と決めつけるようになってしまい、気を紛らせるためにラジオをかけるようになったのだった。
「それにしても、思い出したように和室の壁がコンコンという音を立てたり、洋間でミシミシと音がするのは何なのだろうか。そんなことを気にしていると眠れなくなるので、すぐにラジオを付けてしまうのだが、今日のラジオ深夜便は冨田勲さんの特集をしているようだな。冨田さんはぼくが小学校の頃にはアニメの主題歌やテレビ番組のテーマ曲を作曲していたが、ぼくが中三の頃にシンセサイザー演奏によるドビュッシーの小品集(といっても前奏曲集や組曲の中の1曲なんだが)を出されて、高校生の頃にアラベスク第1番、月の光、亜麻色の髪の乙女なんかをよく聴いたものだった。でもやはり冨田さんのシンセサイザーは凄いと思ったのは、ムソルグスキー「展覧会の絵」だったな。音の奇抜さ、音域の広さ、音の広がり、電子楽器の特徴を生かした正確な音程・強弱・リズム感など今までにないサウンドを提供してくれた。ぼくの友人は冨田さんの「展覧会の絵」を聴いて、夜中に聴くのが怖くなったと言っていたが、友人は初めて聞いた未知の音を自分の中にどう受け入れたらよいのか戸惑ったのかもしれない。人の歌声でもオーケストラの楽器が奏でる音でもないし、ピアノの音でもない。もちろんフォークギターやエレキギターの音でもないまったく新しい音だった。ぼくはドビュッシーのアルバムを発売されて大分たってから聴いた。でもホルスト「惑星」は発売されて間もなく、クラブの先輩からレコードを貸していただいて聴いたのだった。冨田さんが創作した宇宙人が登場したりして楽しいアルバムだが、忘れてならないのは、木星のあのテーマをたくさんの人に知らしめたということだろう。平原綾香さんだって、レパートリーにする前に冨田さんの「惑星」を聴かれたに違いない。「惑星」を出す前に冨田さんはストラヴィンスキー「火の鳥」をアレンジされたが、こちらを聴いたのも、「惑星」を聴いてから大分経ってのことだ。「火の鳥」の他、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」とムソルグスキー「はげ山の一夜」がカップリングされていたが、いずれの曲にものめり込むことはなかった。もしかしたらもうその頃にはシンセサイザーの音に慣れてしまって、衝撃的な音、奇抜な音でなくなってしまっていたのかもしれない。その後、「宇宙幻想」「バミューダ・トライアングル」「ダフニスとクロエ」「大峡谷」を冨田さんは出されたが、自分の好みの曲がなかったので、聴かずじまいだった。最近になって、その後、「ドーン・コーラス」というアルバムが出されていたのを知った。こちらは、ヴィラ・ロボスのブラジル風バッハ第2番からトッカータ、アルビノーニのアダージョ、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、ラフマニノフのヴォカリーズ、パッヘルベルのカノンとよく知られた曲をアレンジし、「ドーン・コーラス」(宇宙からのパルス信号)も挿入されていて、興味深いアルバムなので、CDをしばしば聴くことだろう。冨田さんは屋外でコンサートをしたり、ボーカロイドの初音ミクと「イーハトーヴ交響曲」で共演したと聴いているが、クラシックの名曲をもっとアレンジしてほしかった。冨田さんがアレンジしたのは、ロシア、フランスやイギリスの管弦楽曲やバロック音楽がほとんどで、ベートーヴェン、ブラームス、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ショパン、ブルックナー、マーラーの曲はぼくが知る限りではアレンジしていない。アレンジするには、許可がいるということだから、その点でむずかしかったのかもしれない。でももしかしたら、がっしりした建築物のような交響曲よりロシアやフランスの管弦楽曲の方が自分のイマジネーションを反映しやすいと考えられたのかもしれない。シンセサイザーの音の魅力は、電子楽器特有の無限の可能性と言えるだろう。インプットをきちんとすれば、音は無限に広がり、人の心をときめかせ、感動させることができる。そんな可能性を誰にでもわかるように提示したのが、「展覧会の絵」だったと思う。おや、また壁がコンコンとなり出したぞ。いつもどおり不思議な音ではあるが、今日は超常現象なんて無粋な考えはやめにして、銀河星雲太陽系地球の知的生命体が発生させた諸々のウエーヴと考えることにしよう。うーん、そう考えるとトントンという音も心地よくなって来たぞ。すやすや」