プチ小説「命あってこそ」

小南は、室内灯の方に腕時計の文字盤を向けて時刻を見た。午後8時に山小屋のベッドで横になってから、何度腕時計を見たことだろう。
「午前2時か。それにしても、前日、泊まった山小屋とはえらい違いだな。昨日は畳2枚で3人の寝床だったが、今日は3人で畳1枚なんだから。最近は女性の登山者が増えて、山小屋を利用する人が多くなった。それで登山客が多い場合には、こういうふうに狭い場所に詰め込まれることになる。周りを気にせずにマイペースで登山をするならテントを持参するのがいいんだろうが、小型軽量化されたとは言え嵩張るし結構重い、それに小型のテントは豪雨になったらどうしようもないので、軽装備で登山をしようと思ったら、山小屋を利用せざるをえないだろう。・・・。それにしてもこの人はすごい」
小南の隣には身長180センチ、体重90キロ程の白いジャージを着た男性が、大鼾をかいて眠っていた。
「午後8時に入眠されてからずっと大鼾をかいておられる。途切れたら、疲れているし私も寝付けるのだろうが、この轟音が続く限り無理だろう。何か巨大な楽器か騒音マシンのようだ。トイレに起きられたら、その間に眠ろうと思っているのだが、起きられないし...。まあ、登山はお互いさまであるのだが」
小南も2回目の槍・穂高登山の際に上高地から一気に南岳小屋まで上がったため、山小屋に着くとすぐに大鼾をかいて眠ってしまったのだった。
「あの時に隣で寝た人の冷たい視線は、一生忘れないだろう。山小屋に着いてすぐは楽しく山の話をしたのに、翌朝は一言も話されなかった。その時はその後、大キレットに行って、登山経験豊富な男性と知り合い北穂高岳にまで行ったが、大雨が降り出したので南稜を涸沢ヒュッテまで下りた。その豪雨のすごかったこと。向かいの山と山の間に稲妻が走るのを見たが、あれはこれからも見ることはないだろう。稲妻と言えば、一昨年は穂高岳山荘まで行ってから、天候の悪化を予測してザイデングラードを下ったが、途中の平坦になっているところを歩いていると突然100メートルほど前に落雷があった。まさに命からがらの脱出という感じだった。あの時は周りに20人かそこらの人がいたので、落ちる確率は低いと思って開き直って歩き続けたが、ほんとによく無事に帰還できたものだと思う。槍・穂高登山は、上高地―徳澤―横尾―槍沢ロッジ―槍ヶ岳山荘―大喰岳―中岳―南岳小屋―大キレット―北穂高岳―涸沢岳―穂高岳山荘―奥穂高岳―前穂高岳ー岳沢ー上高地というルートが縦走と言われ、一度は行ってみたいルートだが、私の場合、穂高岳山荘まで辿り着いたのは2回だけだった。奥穂高岳、前穂高岳、岳沢には行っていない。最初に穂高岳山荘まで行けた時に65才位の登山歴の長い男性と知り合いになり、一緒に奥穂高岳、前穂高岳に行こうと言われたのだが、曇り空だったので、晴天の時に改めて行こうと決め、有難い申し出を断ったのだった。だいたいここでは4日続けて天候に恵まれるという確率は少ないのだが、その時はまだまだチャンスはあると思い断念したのだった。今にして思えば、最初で最後の槍・穂高縦走のチャンスだったのかもしれないな。ああそれにしても...。このまま朝まで眠れないと午前6時から午後4時まで昼食を取るときに少し休むだけで、ずっと上高地まで走り続けるということはできないだろう。転んで骨折したら、大変だし。そうださっきトイレに行った時、廊下に眠れるくらいのスペースがあった。あそこでなら眠られるかもしれない」

そこで小南は午前3時から5時まで眠ることができた。小南は大雨の中を歩き続け、中岳付近で方角がわからなくなり、同じところを2度往復して1時間余りを無駄に費やしたが、遭難せずに何とか上高地まで辿り着けた。これは2時間であるが睡眠できたことのおかげだった。その日の午後6時過ぎに上高地から松本市内までタクシーで戻った小南は、なじみの蕎麦屋で夕ご飯をありがたくかみしめた。小南は、こばやしでそばを食べながら独り言を言った。
「今回は、登山の怖さを思い知ったな。自分ではどうしようもないことも登山ではあるんだ。それに限られた時間でしないといけないから、無理なことをしてきたのかもしれない。しばらく登山はしない方がいいだろう。命あってこそ、登山やいろんなことができるのだから」