プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 ドヴォルザーク編」

わしはちいこい頃から偉人さんの伝記を読むのが好きでなー、天才肌の人よりは努力家の人の方が好きやった。こういう大雑把な分け方は怒られるかもしれんが、前者はゲーテ、モーツァルト、ナポレオン、芥川龍之介、長嶋茂雄、後者はディケンズ、ベートーヴェン、リンカーン、井上靖、王貞治といったところやろうか。名を連ねた偉人さんの子供向けの伝記が出版されているか、わしは知らん。それになー長い人生で勝利を勝ち得たのか、一時的な隆盛で終わったのかは、それぞれの人が自分で思っとったらええことなんや。でもなあそれが一時的なもんであっても、後世に名を残こしたちゅーのは紛れもない事実や。音楽家で言うたら、モーツァルトの他にも、大バッハ、ヴィヴァルディ、シューベルト、ショパン、ブラームス、チャイコフスキーなんかは湧き出る泉のようにメロディが浮かんできたちゅーことやから、天才ちゅーてもええのかもしれん。ただようわからんのがドヴォルザークちゅー作曲家が天才やったかちゅーことや。伝記でよく書かれてあるのが、実家が肉屋で肉屋の修行をしたちゅーことやけど、なんでまたそこから偉大な音楽家になることができたかや。風貌から察するとスポーツマンのようにも見えるし、趣味は機関車を見たり、乗ったりすることと今でいう鉄道ファンの走りみたいやが、そんなドヴォルザークが天才なんか考えてとると頭がおかしゅーなってきよった。ここは船場を呼んで、意見を聞いてみることにしよっと。おおい、船場、そんなところで、破れたシャツの穴を繕うのはやめて、ここに来てわしの疑問に答えてくれ。はいはい、にいさん、お呼びですか。そうや、10円やるからわしの疑問に答えてくれ。にいさん、今時、10円ではチ○ルチョコも買えないですよ。今は20円するんですから。そうかそしたらなー、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、お前に20円あげるからドヴォルザークが天才なんか、ちゃうんか教えてくれや。そうですかそれほどの覚悟をしていただけるんなら、お教えしましょう。ここに1983年に刊行された、『ドボルジャークの生涯』という、評伝があります。ブリアンという人がチェコ語で書いたドヴォルザークの伝記で、関根日出男さんという方が翻訳されています。確かににいさんが言われるように最初は父親の方針で肉屋で修行することになりますが、自らチターも演奏して家計を助けたという父親が最終的には息子の願いを受け入れ、音楽家の道を歩んで行きます。ドヴォルザークは育ててもらった両親を大切にし、父親が音楽の勉強するのを認めてくれるまでは一所懸命に肉屋で修行に励んだわけです。ドヴォルザークはヴィオラを引いて絶対音感があることをリーマン先生に知ってもらい、最初は歌曲の作曲で実績を積んでいきます。モラヴィア2重奏はチェコ語の歌詞なので世界的に有名とは言えませんが、美しいデュエットで一度聴いたら忘れられないでしょう。このようにドヴォルザークにとってのわが祖国チェコ(ボヘミア)の歌詞や歌劇の台本にメロディを付けることがほとんどだったので、メロディが秀でていても他の国の演奏会で取り上げられることはほとんどありませんでした。「月に寄せる」という歌劇「ルサルカ」の中で歌われる美しい曲くらいしか他の国では取り上げられないのです。それから器楽曲にしても、チェロ協奏曲、交響曲第8番、第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲「アメリカ」などはメロディが美しく洗練されているので、馴染みやすいですが、他の7つの交響曲をはじめそのほとんどが民族的な色彩が濃く、別の環境で育った人が深く理解するのは難しいようです。この本の中で国立劇場建設に当たりドヴォルザークが熱い思いを述べていますが、少なくともそのような背景を理解していないとボヘミアの土の香りが漂うドヴォルザークの音楽にのめりこむのは不可能かと思います。なるほどなあ、あのアーシーな第7番の交響曲を理解するためには、ドヴォルザークが身近にいる国民のために音楽を書いたちゅーことを知ってなあかんちゅーことなんやな。そうです国民学派と呼ばれた作曲家であるドヴォルザークはたくさんの歌曲や歌劇を作曲したため、その分われわれが接することができる(演奏会で聴くことができる)器楽曲は少ないのかもしれません。でもこの本の中で湧き出る泉のようにメロディが浮かぶと自らが述べているところがあり、そういったところを読むとドヴォルザークは天才と言ってもよいのではと思うのです。そうかよう分かったわ。ほなこれ20万円な。...やっぱり、20円ですよね。