プチ小説「ナポレオンの手解き」
瀧井は、高校入学後1週間もしないうちに写真部の部室である生物室を訪れた。入学式の前にもらったオリジナルの栞と生物室の入口に掲げられたカメラの絵が描かれた大きな看板になんとなく引かれたからだった。異様な臭いが立ち込める入口でもじもじしていると、ふたりの生徒が瀧井のそばにやってきた。おかっぱ頭の男の子と一枚刈の坊主頭の男の子だったけれど、おかっば頭は腕を組んでいるだけだったが、坊主頭は平身低頭で瀧井に話しかけた。
「やあ、こんにちは。物凄い臭いがするだろ。これは生物部員が新入生に栞にしてプレゼントするために水酸化ナトリウムで葉っぱを煮て、葉脈標本を作っているところなんだ。、君は生物部に入って、水酸化ナトリウムで葉っぱを煮て、葉脈標本を作りたいと言うんじゃないだろ」
と言った。
瀧井はもちろんそうではなかったので、そうじゃないですと言った。
そこですかさずおかっぱ頭が言った。
「なら、写真部に入りなさい。主な活動は、月例会と文化祭の出品だけれど、毎日がナポレオン三昧で、写真の技術が身につかなくても、ナポレオンの技術が身につくし、これは社会に出た時に大いに役に立つんだ。ははは、これは冗談だが、たとえわずかな時間しか写真の焼き付けができなくっても十分に楽しい部活だということが言いたいわけだ」
そう言うとおかっぱ頭は瀧井を中に案内した。
普段、生物の実験をするテーブルの上にはトランプのカードが並べられ、3人の男性がおかっぱ頭と坊主頭が帰ってくるのを待っていた。
「あ、新人だね。ちょうどよかった。ぼくは今から暗室に入るから、新人と一緒にナポレオン、やってて」
そう言うとサファリジャケットを着た(私服可能な高校だった)先輩らしき人が奥へと入って行った。
あとのふたりの先輩らしき人はこれと言って特徴のない人であったが、ひとりはぽっちゃりしていたので、ぽっちゃりさん、ひとりは体育会の人のように筋肉隆々だったので、むきむきさんと以下、便宜的に記す。
ぽっちゃりさんは、
「君、ぼくたちはこうして、暗室利用の合間にというか部活のほとんどの時間をナポレオンをやって過ごすわけだ。そういうわけでナポレオンは必須科目なんだが、君はナポレオンを知っているかい」
と言った。
「いいえ、神経衰弱と七並べなら知っていますが...」
「そうか、それなら、これは写真部の先輩と後輩を固い絆で結びつけるものでもあるし、是非覚えなさい。さあ、ここの席に座って。じゃあ、後継者を育てることにもなるし、ここはぼくが説明することにしよう。まず札の数はジョーカーを含めて、53枚になるが、それぞれ10枚ずつ5人に配る。切り札(スペード、クラブ、ハート、ダイヤ)と獲得できる絵札(10、ジャック、クイーン、キング、エース)の枚数を宣言して、承認を受ければ真ん中に置かれた余った札をもらい取捨選択できる。自分がゲームを有利に進めるためには数が多い札を切り札に選ぶのがよい。基本的には切り札のエースが一番強く、数の多い札が強いが、ただしマイティと呼ばれるスペードのエース、次に切り札のジャック(表ジャック)、切り札と同じ色で柄の違うジャック(裏ジャック)は別格で切り札のエースにも勝つことができる。ひとつわかりやすい例を挙げると、切り札以外の絵札ばかりが出たとして残りのひとりが切り札の3を出したら、切り札の3を出した人が絵札を4枚取得できる。また絵札でないが切り札の2はセイムツーで、切り札が揃えば10、クイーン、キング、エースを取得できる。ただしこれは、マイティ、表ジャック、裏ジャックにはきかないが。ジョーカーは切り札請求ができるが、ここのローカルルールでは請求だけで、自分のものにはならない」
「先輩、副官のことを説明しないとだめですよ」
おかっぱ頭が言った。
「おお、そうだった。ナポレオンは何もひとりで黙々と自分で宣言をした枚数を獲得するよう努めるというわけではない。ナポレオンになった人は、副官を指名することができる。ただ余った札を取る前に、『15枚、副官は表ジャック』などと宣言しないといけないから、表ジャックが余った札の中にあったら、ひとりで戦わないといけなくなる。まあ、これだけ知っているとある程度はやれるから、あとはゲームをしながら覚え行くといい。暗室の中に引き伸ばし機が2台あるが、交代で使用しなければならない。部員数は、3年生が1人、2年生が6人、1年生が君を含めて3人だ。下校時間が午後5時30分で、2時間ほどしか放課後の部活ができないから、平日することはあきらめて、先輩のナポレオンの相手をするようにしてもらうのがいい」
「で、ぼくは焼き付けをいつするのですか」
「土曜日の午後、下校時間近くか、日曜日がいいだろうねえ」
「......」
「そんな暗い顔をしないで。引き伸ばしや現像のテクニックはこのあと教えてあげるから。ただ放課後の部活で自分の写真を焼きつけるのは早くあきらめるのがいい。休日なら、引き伸ばし機はあいているから、やり方を覚えたら、君は休日に登校して部活をやればいいんだよ」
「......」
「じゃあ、欲は出さずに、部活、頑張るんだよ。さあ、そしたら宣言するぞー、切り札はハートで14枚、副官はマイティ」
すかさずむきむきさんがそれに応えた。
「承認」